5. 奥山にもみじ踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき / 猿丸大夫

5. 奥山にもみじ踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき / 猿丸大夫

おくやまにもみじふみわけなくしかの こえきくときぞあきはかなしき(さるまるだゆう)

(訳)奥深い山の中に紅葉を踏み分けやってきて、鹿の鳴き声をきくと秋の悲しさがひとしお身に染みることです。

(解説)
・オスの鹿はメスを求めて「ピー」と鳴く。この鳴き声は秋の季語。

・秋の山の情景(目)と、鹿の鳴き声(耳)があいまって、人恋しさが募る。

・9世紀末の「是貞親王の家の歌合」で詠まれた。(是貞(これさだ)親王は58代光孝天皇(15)の皇子。59代宇多天皇の同母兄。)

・当時すでに秋は悲哀の季節と思われていた。秋の収穫を喜ぶ農耕生活ではその発想は出てこず、都会的精神と思われる。

・この歌は古今和歌集では詠み人しらずになっている。

・係り結び「ぞ」⇒「悲しき(連体形)」
(シク活用「しく・しく・し・しき・しけれ・〇」)


(作者)
猿丸大夫(さるまるだゆう・たいふ)。実在さえも疑われる伝説的歌人。三十六歌仙の1人。

 

 

7. 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山にいでし月かも / 阿倍仲麿

7. 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山にいでし月かも/阿倍仲麿

あまのはらふりさけみればかすがなる みかさのやまにいでしつきかも(あべのなかまろ)

(訳)
広々とした大空をふり仰いではるかに眺めると、ふるさとの春日にある三笠山にかつてのぼっていた月と同じなのだなあ。

(文法)
・「かも」は詠嘆「〜だなあ」

・「なる」は「〜にある」


(作者)
阿倍仲麿(あべのなかまろ)(701~770)

717年、留学生として唐に渡り、科挙に合格。官吏(かんり)として玄宗皇帝に仕えた。中国名は朝衡(ちょうこう)。

詩人の李白(りはく)や王維(おうい)とも交流があった。

753年、35年ぶりの日本へ帰国することになったが、藤原清河らと渡った船が難破。

安南(ベトナム)に流れ着き、唐へまた戻ることになった。そしてついに日本には帰れなかった。

阿倍比羅夫の孫。

 

8. わが庵は都のたつみしかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり / 喜撰法師

8. わが庵は都のたつみしかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり / 喜撰法師

わがいおはみやこのたつみしかぞすむ よをうじやまとひとはいうなり(きせんほうし)

(訳)
私の草庵は都の東南にあってこのように穏やかに住んでいる。なのに世間の人々は辛い世から逃れて宇治山に隠れ住んでいると噂しているようだ。

(解説)
・宇治へ隠れ住んでいるという噂を笑い飛ばすようなユーモアのある一句。

・「宇治」と「憂し(うし)」との掛詞。

・「なり」は伝聞の助動詞。「~のようだ。」音(ね)あり。

・辰巳・巽・たつみ・・東南。(方角。子は北、卯は東、午は南、酉は西。)

・宇治山は現在では喜撰山(きせんやま)と呼ばれる。

・宇治は早くから世間の俗塵を離れた清遊の地とされ貴族の別荘も多かった。


(作者)
喜撰法師。六歌仙の1人。仙人となり雲にのって飛び立ったという伝説が残る。

 

 

9. 花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふる眺めせし間に / 小野小町

9. 花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふる眺めせし間に / 小野小町

はなのいろはうつりにけりないたづらに わがみよにふるながめせしまに(おののこまち)

(訳)
桜の花の色ははかなく色あせてしまった。長雨が降り続く間に。私の容姿も同じように衰えてしまった。物思いにふけっている間に。

(解説)
・「眺め」と「長雨」が掛詞。

・「(長雨が)ふる」と「(世に)ふる」年月が経つの掛詞。

・いたずらに・・むなしく

・うつりにけりな・・色あせてしまった。「な」は感動の終助詞。


(作者)
小野小町。吉子。美女の代名詞。54代 仁明天皇の更衣。在原業平に思いを寄せていたとも言われる。六歌仙三十六歌仙の一人。

 

11. わたの原八十島かけてこぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟 / 参議篁

11. わたの原八十島かけてこぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟 / 参議篁

わたのはらやそしまかけてこぎいでぬと ひとにはつげよあまのつりぶね(さんぎたかむら)

(訳)
大海原に浮かぶたくさんの島をめざして漕ぎ出していったと、人には伝えておくれ。漁師の釣り舟よ。

(解説)
・わたの原=大海原

・八十島=たくさんの島

・あま=漁師


(作者)
参議篁(さんぎたかむら)(802~852)。小野篁(おののたかむら)。小野妹子の子孫。漢詩や学問にすぐれた学者。21才で文章生(もんじょうしょう)になる。

承和5年(838年)、優秀で36才で遣唐副使に選ばれるも、壊れた船をあてがわれたため仮病で乗船拒否。

さらに遣唐使を批判する詩を書いて52代嵯峨上皇を怒らせてしまい、隠岐に流される。2年後、54代仁明天皇に許されて都に戻り参議にすすんだ。

昼は官僚、夜は閻魔大王の相談役という二刀流をこなした人物とも伝えられる。

 

12. 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ/僧正遍昭

12. 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ / 僧正遍昭

あまつかぜくものかよいじふきとじよ おとめのすがたしばしとどめん(そうじょうへんじょう)

(訳)大空を吹く風よ。雲の中の天への通路を吹き閉ざしておくれ。天女たちの姿をもうしばらくとどめておきたいから。

(解説)
11月中旬、宮中行事の「豊明の節会(とよあかりのせちえ)」(=天皇が新米を食べる儀式)の「五節の舞姫(ごせちのまいひめ)」を見て詠んだ歌。


五節の舞姫

 

(解説)
・天つ風・・天の風。空を吹く風よ。「つ」は「の」の意味。

・をとめの姿・・この「をとめ」は「天つ乙女」の意味で天女をさす。五節の舞姫を天女に見立てた表現。


(作者)
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)。良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。

六歌仙三十六歌仙の一人。平安京を開いた50代・桓武天皇の孫。良岑安世(よしみねのやすよ)の息子。21「いま来むと」の素性法師の父。

54代・仁明天皇(833年)に仕え「良少将」「深草少将」と呼ばれた。仁明天皇崩御のあと35才で比叡山にのぼり出家。僧正は僧侶の中で最も高い位。元慶寺を創設。

美男としても知られ、9「花の色は」の小野小町とも親しかった。

 

14. みちのくのしのぶもぢずり誰ゆえに 乱れそめにし我ならなくに/河原左大臣

(イメージ)

14. みちのくのしのぶもぢずり誰ゆえに 乱れそめにし我ならなくに / 河原左大臣(かわらのさだいじん)

みちのくのしのぶもじずりたれゆえに みだれそめにしわれならなくに

(訳)
陸奥(東北の東半分)のしのぶもじずりの乱れ模様のように、誰のせいで思いが乱れ始めてしまったのでしょう。私ではなくあなたのせいですよ。

(解説)
・信夫(しのぶ)地方・・今の福島県

・しのぶもじずり・・染め物


(作者)
河原左大臣(かわらのさだいじん)。源融(みなもとのとおる)。

52代・嵯峨天皇の第12皇子。臣籍降下して源姓になる。河原院という大邸宅に塩釜の地を模して海水を汲む。光源氏のモデルの1人とも言われる。

宇治に別荘を作ったが、これが後の平等院となる。

 

15. 君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ / 光孝天皇

15. 君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ / 光孝天皇

きみがためはるののにいでてわかなつむ わがころもでにゆきはふりつつ(こうこうてんのう)

(訳)あなたのために春の野にでかけて若菜をつんでいる私の袖に雪がちらちらと降りかかっています。

(解説)
・「古今集」に載っている歌。光孝天皇がまだ時康親王と呼ばれる時代のもの。

・宮中では年のはじめに若菜つみが行なわれる。正月七日に若菜(春の七草)を食べると邪気が払われるとされた。


(作者)
58代・光孝天皇。54代・仁明天皇の第3王子。小さいころから和歌や学問が好きな皇子だった。55才で天皇に即位したが、4年後に亡くなる。

 

16. 立ち別れいなばの山の峰におふる まつとし聞かば今帰り来む / 中納言行平

16. 立ち別れいなばの山の峰におふる まつとし聞かば今帰り来む / 中納言行平

たちわかれいなばのやまのみねにおうる まつとしきかばいまかえりこん(ちゅうなごんゆきひら)

(訳)私はお別れして因幡の国(鳥取県)に行きます。稲葉山の峰に生える松のように皆さんが私の帰りを待つと聞いたならすぐに帰ってきましょう。

(解説)
・「因幡」と「稲葉山」、「待つ」と「松」がかかっている。

・いなくなった猫が帰ってくるおまじないとして読まれる。


(作者)中納言行平。在原行平(818~893)。在原業平(17「ちはやぶる」)の異母兄。

51代・平城天皇(へいぜいてんのう)の孫。阿保親王(あぼしんのう・平城天皇の第1皇子)の皇子。業平とともに皇族を離れた。

陽成天皇(13つくばねの)、光孝天皇(15きみがため)に仕えた有能な官吏でもあった。

38才で因幡(鳥取県)の国司、因幡守となった。任期は4~5年。京都に奨学院という学校を創設した。

 

17.ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは / 在原業平朝臣

17.ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは / 在原業平朝臣

ちはやぶるかみよもきかずたつたがわ からくれないにみずくくるとは(ありわらのなりひらあそん)

(訳)神代の昔にも聞いたことがない。竜田川が紅葉を散り流して水を紅葉の絞り染めにしているとは。

(解説)
・昔の恋人の藤原高子(ふじわらのたかいこ)のために屏風を題材に詠んだ歌。

・高子は56代清和天皇の后(二条の后)で、57代陽成天皇の母。


(作者)
在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)。51代平城天皇の孫。阿保親王(あぼしんのう)の皇子。16「立ち別れ」在原行平の弟。六歌仙三十六歌仙の1人。

「伊勢物語」の主人公とされる。情熱的な美男子としても有名。

近衛府(このえふ・官職の一つで皇族や高官の警備)。「在五中将(ざいごのちゅうじょう)」とも呼ばれる。

(参考)
・『応天の門』
・『超訳百人一首 うた恋い。』