48. 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけて物を思ふころかな/源重之
かぜをいたみいわうつなみのおのれのみ くだけてものをおもうころかな(みなもとのしげゆき)
(訳)あまりに風が激しいので岩を打つ波が砕け散るように、私の心もくだけて思い悩んでいるこの頃よ。
(解説)
・「風をいたみ」・・あまりに風が激しいので
(作者)
源重之(みなもとのしげゆき)。56代清和天皇のひ孫。63代冷泉天皇に仕えた。三十六歌仙の一人。日本全国を旅して歌を詠んだ。
百人一首の学びメモ
48. 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけて物を思ふころかな/源重之
かぜをいたみいわうつなみのおのれのみ くだけてものをおもうころかな(みなもとのしげゆき)
(訳)あまりに風が激しいので岩を打つ波が砕け散るように、私の心もくだけて思い悩んでいるこの頃よ。
(解説)
・「風をいたみ」・・あまりに風が激しいので
(作者)
源重之(みなもとのしげゆき)。56代清和天皇のひ孫。63代冷泉天皇に仕えた。三十六歌仙の一人。日本全国を旅して歌を詠んだ。
61. いにしへの奈良の都の八重桜 今日九重ににほひぬるかな/伊勢大輔
いにしえのならのみやこのやえざくら きょうここのえににおいぬるかな(いせのたいふ)
(訳)かつて栄えた奈良の都の八重桜が、今日はこの九重の宮中で美しく咲きほこっていますよ。
(解説)
・「今日」と「京」をかけている。
また
・「いにしえ」と「今日」
・「奈良」と「京都」
・「八重」と「九重」
を対比させている。
(作者)
伊勢大輔(いせのたいふ)。紫式部と中宮彰子に仕えていた。大中臣祐親(おおなかとみのすけちか)の娘。
76.わたの原こぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波/法性寺入道前関白太政大臣
わたのはらこぎいでてみればひさかたの くもいにまがうおきつしらなみ(ほっしょうじにゅうどう さきのかんぱく だいじょうだいじん)
(訳)大海原に舟を漕ぎだして辺りを見わたすと、雲と見間違うような沖の白波が立っていることです。
(解説)
・崇徳天皇の歌合わせ。「海上遠望(海の上で遠くを眺める)」というお題。漢詩のようなお題なので、漢詩が得意な忠道にはよかったのだろう。
・「ひさかたの」⇒「雲」にかかる枕詞。「天」をはじめ「光」「空」「月」「雲」「雨」などの言葉にかかる。
(作者)法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどう さきのかんぱく だいじょうだいじん)
藤原忠道(ふじわらのただみち)。子は95慈円、孫は91良経。鳥羽天皇から4代に渡り関白を務めた。
1156年・保元の乱で後白河上皇側について、勝利。弟・藤原頼長と戦った。
93「契りおきし」藤原基俊から、根回しを頼まれた方の人。
77. 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末にあわむとぞ思ふ/崇徳院
(読み)せをはやみいわにせかるるたきがわの われてもすえにあわんとぞおもう(すとくいん)
(訳)川瀬の急流が岩にせきとめられて分かれても、また下流で合わさるように、今2人が別れても将来再び逢おうと思う。
(作者)崇徳院(すとくいん)
第75代天皇。崇徳上皇。
和歌が好きでよく歌の会を開いた。父の鳥羽院からは自分の子でないため愛されなかった。
1156年・保元(ほうげん)の乱で、弟の後白河天皇に敗北し、讃岐国(さぬきのくに)に流された。
(藤原頼長、源為義・為朝らと組んだ。)