10続後撰和歌集 – 楽しく百人一首

99. 人もをし人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆえに物思ふ身は/後鳥羽院

99. 人もをし人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆえに物思ふ身は/後鳥羽院(ごとばいん)

ひともおし ひともうらめし あじきなく よをおもうゆえに ものおもうみは

(訳)人を愛おしく思ったり、人を恨めしく思ったり。つまらないと世を思うせいであれこれ思い悩む身となっては。

(解説)
・思い悩みながら生きる嘆き


(作者)後鳥羽院(ごとばいん)。82代天皇。後鳥羽上皇。81代安徳天皇が平氏と共に都落ちしたのち4歳で即位。

藤原家定に「新古今和歌集」を撰ばせた。この歌を詠んだ9年後の1221年、倒幕をもくろみ、承久の乱を起こしたが破れ、隠岐の島に流される。息子は順徳院(100「ももしきや」

貴族の時代(平安)が終わり、武士の時代(鎌倉)が始まろうとしていた。

100. 百敷やふるき軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり/順徳院

100. 百敷やふるき軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり/順徳院(じゅんとくいん)

(読み)ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なおあまりける むかしなりけり

(訳)宮中の古い軒端の下に生えている忍草を見ると、やはりしのぶにもしのびつくせないのは、栄えていた昔のことであるよ。

(解説)
・栄えていた時代を懐かしむ心

・ももしきや・・宮中。「大宮」にかかる枕詞だった。

・軒端(のきば)・・屋根の下の方のはじ


(作者)順徳院(じゅんとくいん)。84代天皇。詩歌・音楽に没頭。後鳥羽院(99「人もおし」)の皇子。歌論書「八雲御抄(やくもみしょう)」を記した。

和歌を藤原定家に習う。1216年、20歳のときにこの歌を詠み、5年後の1221年承久の乱で後鳥羽院と共に流刑。父は隠岐島、息子は佐渡に。