旅 – 楽しく百人一首

7. 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山にいでし月かも/安倍仲麿

7. 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山にいでし月かも/安倍仲麿

あまのはらふりさけみればかすがなる みかさのやまにいでしつきかも(あべのなかまろ)

(訳)
広々とした大空をふり仰いではるかに眺めると、ふるさとの春日にある三笠山にかつてのぼっていた月と同じなのだなあ。

(文法)
・「かも」は詠嘆「〜だなあ」

・「なる」は「〜にある」


(作者)
安倍仲麿(あべのなかまろ)(701~770)

717年、留学生として唐に渡り、科挙に合格。官吏(かんり)として玄宗皇帝に仕えた。中国名は朝衡(ちょうこう)。

詩人の李白(りはく)や王維(おうい)とも交流があった。

753年、35年ぶりの日本へ帰国することになったが、藤原清河らと渡った船が難破。安南(ベトナム)に流れ着き、唐へまた戻ることになった。そしてついに日本には帰れなかった。

 

11. わたの原八十島かけてこぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟/参議篁

11. わたの原八十島かけてこぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟/参議篁(さんぎたかむら)

わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね

(訳)
大海原に浮かぶたくさんの島をめざして漕ぎ出していったと人には伝えておくれ。漁師の釣り舟よ。

(解説)
・「わたの原」=大海原

・「八十島」=たくさんの島

・「あま」=漁師


(作者)
参議篁(さんぎたかむら)。小野篁(おののたかむら)。小野妹子の子孫。漢詩や学問にすぐれた学者。21才で文章生(もんじょうしょう)になる。

優秀で36才で遣唐副使に選ばれるも、壊れた船をあてがわれたため仮病で乗船拒否。さらに遣唐使を批判する詩を書いて52代・嵯峨上皇を怒らせてしまい、隠岐に流される。2年後、54代仁明天皇に許されて都に戻り参議にすすんだ。

昼は官僚、夜は閻魔大王の相談役という二刀流をこなした人物とも伝えられる。

 

24. このたびはぬさもとりあへず手向山 もみぢの錦神のまにまに/菅家

24. このたびはぬさもとりあへず手向山 もみぢの錦神のまにまに/菅家(かんけ)

このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに

(訳)今度の旅ではお供えする幣も用意できていません。手向山の美しい紅葉を幣の代わりにするので神の御心にお任せします。

(解説)
・898年10月、59代・宇多天皇のお供をして吉野の宮滝へ行き、奈良坂へさしかかったときの歌。


(作者)
菅家(かんけ)は尊称。菅原道真(すがわらのみちざね)。優れた学者、大物政治家。59代宇多天皇に重用され、右大臣にまで登った。

遣唐使の廃止を提案。(参議篁(11「わたのはらや)が最初に提案)。901年、無実の罪で藤原時平に大宰府に左遷される。

九州太宰府を始め全国の天満宮で天神様、学問の神様として信仰を集める。

 

(参考)
「応天の門」灰原薬

 

93.世の中は常にもがもな渚こぐ あまの小舟の綱手かなしも/鎌倉右大臣

93.世の中は常にもがもな渚こぐ あまの小舟の綱手かなしも/鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)

よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのおぶねの つなでかなしも

(訳)世の中がずっと変わらないでいてほしい。海辺近くで漁師の小さな船の引き綱を引いている姿は、しみじみといとおしく感じられるなあ。


(作者)鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)。源実朝(みなもとのさねとも)。12才で鎌倉幕府3代将軍となる。父源頼朝、母北条政子、兄源頼家。

歌人。藤原定家が和歌を教える。歌集「金塊和歌集」を残す。28才で甥の公卿に暗殺される。