川 – 楽しく百人一首

13. 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる/陽成院

13.筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる/陽成院(ようぜいいん)

つくばねの みねよりおつる みなのがわ こいぞつもりて ふちとなりぬる

(訳)
筑波峯のてっぺんから段々と流れ落ちるみなの川のように、私の恋心も積もって深い淵のようになったよ。

(解説)
・筑波山(つくばさん)(常陸国・ひたちのくに・茨城県)・・男体山(なんたいさん)と女体山(にょたいさん)という二つの峯からなる恋の歌の名所。「西の富士、東の筑波」と言われた。

・みなの川・・筑波山から流れる川。「男女川」とも書く。

・淵・・流れが緩やかになって深くなったところ。

・綏子内親王(すいしないしんのう)に当てて書いた歌。陽成院の后になった。


(作者)
陽成院(ようぜいいん)。57代・陽成天皇(ようぜいてんのう)。56代・清和天皇(せいわてんのう)と藤原高子(二条后・にじょうのきさき)の皇子。

9才で即位したが、叔父の関白・藤原基経(藤原家最初の関白)に17才で退位させられ、光孝天皇(15「きみがため は」)に皇位を譲った。

20「わびぬれば」元良親王(もとよししんのう)の父。

(参考)
「うた恋」1巻

17.ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは/在原業平朝臣

17.ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは/在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは

(訳)神代の昔にも聞いたことがない。竜田川が紅葉を散り流して水を紅葉の絞り染めにしているとは。

(解説)
・昔の恋人の藤原高子(ふじわらのたかいこ)のために屏風を題材に詠んだ歌。

・高子は56代清和天皇の后(二条の后)で、57代陽成天皇の母。


(作者)
在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)。51代平城天皇の孫。阿保親王(あぼしんのう)の皇子。16「立ち別れ」在原行平の弟。六歌仙三十六歌仙の1人。

「伊勢物語」の主人公とされる。情熱的な美男子としても有名。

近衛府(このえふ・官職の一つで皇族や高官の警備)。「在五中将(ざいごのちゅうじょう)」とも呼ばれる。

(参考)
・『応天の門』
・『超訳百人一首 うた恋い。』

 

27. みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ/中納言兼輔

27. みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ/中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ)

みかのはら わきてながるる いずみがわ いつみきとてか こいしかるらん

(訳)みかの原を分けて湧き流れる泉川の名のように、あなたをいつ見たということでこんなに恋しいのだろうか

(解説)
・まだ逢ったことのない人への恋心がつのる歌。

・泉川・・現在の木津川


(作者)
中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ)。藤原兼輔。三十六歌仙の1人。堤(つつみ)中納言と呼ばれた。

藤原冬嗣のひ孫。藤原為時の祖父。紫式部(「57めぐりあいて」)の曽祖父(ひいおじいちゃん)。

いとこの三条右大臣・藤原定方(25「名にしおはば」)とともに、醍醐朝の歌壇を支えた。

 

2024大河ドラマ「光る君へ」第2回
「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」
(訳)子を持つ親の心は闇というわけではないが、子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものです。

 

32. 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり/春道列樹

32. 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり/春道列樹(はるみちのつらき)

やまがわに かぜのかけたる しがらみは ながれもあえぬ もみじなりけり

(訳)
山あいを流れる川に風がかけた柵(しがらみ)は、流れたくとも流れていけない紅葉だったのだなあ。

(解説)
・山川(やまがわ)・・山あいを流れる小さな川

・京都から比叡山のふもとを通り、近江(滋賀県)に抜ける山道の途中に作った歌。

・上の句が問いで下の句が答えになっている。

・しがらみ(柵)を作ったのは人ではなく風だった、という擬人法が評価された。


(作者)
春道列樹(はるみちのつらき)。歴史を学ぶ文章生だった。この句で有名になった。