紅葉 – 楽しく百人一首

5. 奥山にもみじ踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき/猿丸大夫

5. 奥山にもみじ踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき / 猿丸大夫

(読み)おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき / さるまるだゆう

(訳)奥深い山の中に紅葉を踏み分けやってきて、鹿の鳴き声をきくと秋の悲しさがひとしお身に染みることです。

(解説)
・オスの鹿はメスを求めて「ピー」と鳴く。この鳴き声は秋の季語。

・秋の山の情景(目)と、鹿の鳴き声(耳)があいまって、人恋しさが募る。

・この歌は古今和歌集では詠み人しらずになっている。


(作者)
猿丸大夫(さるまるだゆう・たいふ)。歌人。三十六歌仙の1人。

 

 

17.ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは/在原業平朝臣

17.ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは/在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは

(訳)神代の昔にも聞いたことがない。竜田川が紅葉を散り流して水を紅葉の絞り染めにしているとは。

(解説)
・昔の恋人の藤原高子(ふじわらのたかいこ)のために屏風を題材に詠んだ歌。

・高子は56代清和天皇の后(二条の后)で、57代陽成天皇の母。


(作者)
在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)。51代平城天皇の孫。阿保親王(あぼしんのう)の皇子。16「立ち別れ」在原行平の弟。六歌仙三十六歌仙の1人。

「伊勢物語」の主人公とされる。情熱的な美男子としても有名。

近衛府(このえふ・官職の一つで皇族や高官の警備)。「在五中将(ざいごのちゅうじょう)」とも呼ばれる。

(参考)
・『応天の門』
・『超訳百人一首 うた恋い。』

 

24. このたびはぬさもとりあへず手向山 もみぢの錦神のまにまに/菅家

24. このたびはぬさもとりあへず手向山 もみぢの錦神のまにまに/菅家(かんけ)

このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに

(訳)今度の旅ではお供えする幣も用意できていません。手向山の美しい紅葉を幣の代わりにするので神の御心にお任せします。

(解説)
・898年10月、59代・宇多天皇のお供をして吉野の宮滝へ行き、奈良坂へさしかかったときの歌。


(作者)
菅家(かんけ)は尊称。菅原道真(すがわらのみちざね)。優れた学者、大物政治家。59代宇多天皇に重用され、右大臣にまで登った。

遣唐使の廃止を提案。(参議篁(11「わたのはらや)が最初に提案)。901年、無実の罪で藤原時平に大宰府に左遷される。

九州太宰府を始め全国の天満宮で天神様、学問の神様として信仰を集める。

 

(参考)
「応天の門」灰原薬

 

26. 小倉山峰のもみじ葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ/貞信公

26. 小倉山峰のもみじ葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ/貞信公(ていしんこう)

おぐらやま みねのもみじば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなん

(訳)小倉山の紅葉よ、もしもののあわれを分かる心があるならば、もう一度天皇の行幸(みゆき)まで散らずに待っていてほしい

(解説)
・小倉山・・京都市右京区嵯峨にあるもみじの名所

・宇多上皇の御幸(みゆき)の際に「息子の醍醐天皇にも見せたい」と言われたのを受けて詠んだ。

・醍醐天皇はこのあと小倉山に行幸された。これ以降、小倉山への天皇の行幸が恒例となり紅葉の名所となった。


(作者)
貞信公(ていしんこう)。藤原忠平(ふじわらのただひら)。藤原基経の三男。温厚な性格。60代醍醐・61代朱雀天皇に仕える。摂政、太政大臣、関白となる。

時平、仲平、忠平の3兄弟は三平(さんひら)と呼ばれ、藤原氏繁栄の基礎を築いた。

 

 

32. 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり/春道列樹

32. 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり/春道列樹(はるみちのつらき)

やまがわに かぜのかけたる しがらみは ながれもあえぬ もみじなりけり

(訳)
山あいを流れる川に風がかけた柵(しがらみ)は、流れたくとも流れていけない紅葉だったのだなあ。

(解説)
・山川(やまがわ)・・山あいを流れる小さな川

・京都から比叡山のふもとを通り、近江(滋賀県)に抜ける山道の途中に作った歌。

・上の句が問いで下の句が答えになっている。

・しがらみ(柵)を作ったのは人ではなく風だった、という擬人法が評価された。


(作者)
春道列樹(はるみちのつらき)。歴史を学ぶ文章生だった。この句で有名になった。