雪 – 百人一首note

4. 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は振りつつ / 山辺赤人

4. 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は振りつつ / 山辺赤人(やまべのあかひと)

(読み)たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ

(訳)田子の浦の海辺に出て、真っ白い富士山をあおぎ見ると、その高い峰に雪が降り続いている

(語句)
・万葉集では「田子の浦ゆ 打ち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」。

平安時代はやわらかな語調が好まれたので詠み替えられた。万葉集の方は「実感的」で、百人一首の方は「観念的」で「幻想的」といえる。

・「田子の浦」は駿河国(静岡県)の海岸。(現在の静岡市清水区辺りか。現在の「田子の浦」は静岡県富士市辺り。場所は変わったが富士山の絶景スポット。)

・「白妙の」は「富士」にかかる枕詞。「真っ白い」という意味。

・「降りつつ」は反復、継続。「(雪があとからあとからしきりに)降り続いている」の意味。実際には見えるわけではないので、枕詞の「白妙の」と合わせて幻想的な雰囲気が加味される。


(作者)山辺赤人(やまべのあかひと)。宮廷歌人。奈良時代、43元明天皇、44元正天皇、45聖武天皇の頃に活躍。自然を見て景色を詠むことが得意な叙景歌人。

万葉集では「山部」、百人一首では「山辺」。三十六歌仙の一人。

柿本人麻呂(3「あしびきの」)とともに「歌聖(かせい)」と呼ばれていた。

大伴家持(6「かささぎの」)には「山柿(さんし)」と呼ばれ、尊敬されていた。

15. 君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ / 光孝天皇

15. 君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ / 光孝天皇(こうこうてんのう)

(読み)きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ

(訳)あなたのために春の野にでかけて、若菜をつんでいる私の袖に雪がちらちらと降りかかっています。

(解説)
・『古今集』に載っている歌。光孝天皇がまだ時康親王と呼ばれる時代のもの。

・宮中では年のはじめに若菜つみが行なわれる。正月七日に若菜(春の七草)を食べると邪気が払われるとされた。


(作者)58代・光孝天皇。54代・仁明天皇の第3王子。59代宇多天皇の父。小さいころから和歌や学問が好きな皇子だった。55才で基経に推され、57代陽成帝(13)のあと即位したが、4年後に亡くなる。