05金葉和歌集 – 百人一首note

60. 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立 / 小式部内侍

(京都・天橋立)

60. 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立 / 小式部内侍(こしきぶのないし)

(読み)おおえやま いくののみちの とおければ まだふみもみず あまのはしだて

(訳)大江山を超えて生野を通る道は遠いので、丹後国の天橋立に行ったこともありませんし、母からの手紙も見ていません。

(解説)
・藤原定頼(64「朝ぼらけ」が、からかったことに対してピシャリと答えた歌。


(作者)
小式部内侍(こしきぶのないし)。母は和泉式部56「あらざらん」。父は橘道貞。母とともに中宮彰子に仕えるが、25才で若くして病気で亡くなる。

天橋立は日本三景の一つ。(松島・厳島)

66. もろともに あはれと思へ 山ざくら 花よりほかに 知る人もなし / 前大僧正行尊

66. もろともに あはれと思へ 山ざくら 花よりほかに 知る人もなし / 前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)

(読み)もろともに あはれとおもえ やまざくら はなよりほかに しるひともなし

(訳)山桜よ、私がお前をしみじみと懐かしく思うように、お前も私を懐かしく思っておくれ。お前のほかに私の心を知る人もいないのだから。

(解説)
・大峰山で修行中に山桜を見つけ詠んだ。山の中にひっそりと咲く山桜に、孤独にたえて修行する自分の姿を重ね合わせた。

大峰山は修験道(しゅげんどう)の霊場として知られる。


(作者)大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)。源基平(もとひら)の子。12才で出家。以後、天台宗・三井寺で厳しい修行を積む。

三条院(68「こころにも」)のひ孫。白河天皇、鳥羽天皇、崇徳天皇(77「せをはやみ」)に僧として仕えた。

 

71. 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 葦のまろやに 秋風ぞふく / 大納言経信

71. 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 葦のまろやに 秋風ぞふく / 大納言経信(だいなごんつねのぶ)

(読み)ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに あきかぜぞふく

(訳)夕方になると門の前に広がる田んぼの稲穂がさわさわと音を立てます。葦ぶきの小屋に秋風が吹いて気持ちのいいことですよ。

(解説)
・夕されば・・夕方になれば

・作者の感情を入れず、自然をありのままに詠んだ歌を「叙景歌」という。


(作者)大納言経信(だいなごんつねのぶ)。源経信。和歌・漢詩・管弦に優れ、藤原公任(55「たきのおとは」)とともに「三船の才(さんせんのさい)」と呼ばれた。

息子は源俊頼(74)、孫は俊恵法師(85)。

先輩歌人である伊勢大輔(61)が、源経信がお見舞いに来てくれたのを喜ぶ歌。
うれしさは忘れやはする忍ぶ草 しのぶるものを秋の夕暮

 

 

72. 音にきく 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ / 祐子内親王家紀伊

72. 音にきく 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ / 祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)

(読み)おとにきく たかしのはまの あだなみは かけじやそでの ぬれもこそすれ

(訳)噂に名高い高師の浜の気まぐれな波のように、浮気者で名高いあなたの言葉は心にかけないように。涙で袖が濡れてしまいますから。

(解説)
・1201年 堀河上皇開催の「艶書合(えんしょあわせ/けそうぶみあわせ)」で詠まれた。

・このとき紀伊は70才。お相手は29才の中納言・藤原俊忠。


(作者)祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)。後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕えた。

 

78. 淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜ねざめぬ 須磨の関守 / 源兼昌

78. 淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜ねざめぬ 須磨の関守 / 源兼昌

(読み)あわじしま かようちどりの なくこえに いくよねざめぬ すまのせきもり(みなもとのかねまさ)

(訳)淡路島から渡ってくる千鳥の、もの悲しく鳴く声で幾晩目を覚ましたことだろうか。須磨の関守は。

(解説)
・『源氏物語』の光源氏の「須磨の巻」に思いをはせてこの歌を詠んだという。

・千鳥は冬の浜辺の景物として読まれる。妻や友を思って慕って鳴く鳥とされる。


(作者)源兼昌(みなもとのかねまさ)。堀川院歌壇の一員。宇多源氏の系統で源俊輔の子。