06詩歌和歌集 – 百人一首note

48. 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな / 源重之

48. 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな / 源重之(みなもとのしげゆき)

(読み)かぜをいたみ いわうつなみの おのれのみ くだけてものを おもうころかな

(訳)あまりに風が激しいので岩を打つ波が砕け散るように、私の心もくだけて思い悩んでいるこの頃よ。

(解説)
・「風をいたみ」・・あまりに風が激しいので


(作者)源重之(みなもとのしげゆき)。56代清和天皇のひ孫。63代冷泉天皇に仕えた。三十六歌仙の一人。地方官を歴任し、最後は陸奥国で没した。日本全国を旅して歌を詠んだ。

49. みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ / 大中臣能宣朝臣

49. みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ / 大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)

(読み)みかきもり えじのたくひの よるはもえ ひるはきえつつ ものをこそおもえ

(訳)宮中の衛士のたくかがり火のように、私の恋心も夜は燃え、昼には消えてしまうように思い悩むころです。

(解説)
・みかきもり・・宮中の門を守る兵士。御垣守。

・衛士(えじ)・・宮中を昼夜交代で守るため地方から集められた兵士。


(作者)大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)。伊勢神宮の神官の家に生まれる。祖先は中臣氏。

伊勢大夫(「61「いにしへの」)の祖父。『後撰和歌集』をまとめた「梨壺の5人」の一人。

 

61. いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に にほひぬるかな / 伊勢大輔

61. いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に にほひぬるかな / 伊勢大輔(いせのたいふ)

(読み)いにしえの ならのみやこの やえざくら きょうここのえに においぬるかな

(訳)かつて栄えた奈良の都の八重桜が、今日はこの九重の宮中で美しく咲きほこっていますよ。

(解説)
・奈良から京都の宮中に八重桜を贈られたときに詠んだ歌。

・「今日」と「京」をかけている。

また
・「いにしえ」と「今日」
・「奈良」と「京都」
・「八重」と「九重(宮中)」
を対比させている。


(作者)
伊勢大輔(いせのたいふ)。伊勢の祭主、大中臣祐親(おおなかとみのすけちか)の娘。大中臣能宣(よしのぶ)(49)の孫。

中宮彰子に仕える。紫式部(57)、和泉式部(56)らと交流があった。

 

76. わたの原 こぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波 / 法性寺入道前関白太政大臣

76. わたの原 こぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波 / 法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどう さきのかんぱく だいじょうだいじん)

(読み)わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもいにまがう おきつしらなみ

(訳)大海原に舟を漕ぎだして辺りを見わたすと、雲と見間違うような沖の白波が立っていることです。

(解説)
・崇徳天皇の歌合わせ。「海上遠望(海の上で遠くを眺める)」というお題。漢詩のようなお題なので、漢詩が得意な忠通にはよかったのだろう。

・「ひさかたの」⇒「雲」にかかる枕詞。「天」をはじめ「光」「空」「月」「雲」「雨」などの言葉にかかる。


(作者)法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどう さきのかんぱく だいじょうだいじん)

藤原忠通(ふじわらのただみち)。父は藤原忠実。子は慈円(95)、孫は良経(91)。鳥羽天皇から4代に渡り関白を務めた。

1156年・保元の乱で後白河上皇側に付いて、勝利した。弟の藤原頼長と戦った。

93「契りおきし」藤原基俊から、根回しを頼まれた方の人。

 

 

77. 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あわむとぞ思ふ / 崇徳院

77. 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あわむとぞ思ふ / 崇徳院(すとくいん)

(読み)せをはやみ いわにせかるる たきがわの われてもすえに あわんとぞおもう

(訳)川瀬の急流が岩にせきとめられて分かれても、また下流で合わさるように、今2人が別れても将来再び逢おうと思う。


(作者)崇徳院(すとくいん)。第75代天皇。崇徳上皇。

和歌が好きでよく歌の会を開いた。父の鳥羽院からは自分の子でないため愛されなかったと言われる。

1156年・保元(ほうげん)の乱で、弟の後白河天皇に敗北し、讃岐国(さぬきのくに)に流された。

   勝〇    負✕
〇後白河天皇(弟)   VS ✕崇徳上皇(兄)
〇藤原忠通(兄)(76 ✕藤原頼長(弟)
〇平清盛(おい) ✕平忠正(叔父)
〇源義朝(兄) ✕源為義(父)・源為朝(弟)