01古今和歌集 – ページ 2 – 百人一首note

18. 住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人めよくらむ / 藤原敏行朝臣

18. 住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人めよくらむ / 藤原敏行朝臣

(読み)すみのえの きしによるなみ よるさえや ゆめのかよいじ ひとめよくらん / ふじわらのとしゆきあそん

(訳)住の江の岸に打ち寄せる波ではないが、夜に見る夢の中の通い路までも、どうしてあの人は人目を避けるのだろうか。

(語句)
・ひとめ・・人の目

・よくらむ・・「よく」は「避ける」。「らむ」は推量「~だろうか」

(解説)
・女性の気持ちになって詠んだ歌

・人目を忍ぶ恋のもどかしさ

・住之江は大阪・住吉の海岸。松の名所で「待つ恋」によく詠まれる歌枕。


(作者)藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)。在原業平(17「ちはやぶる」)とは妻同士が姉妹。書にも優れ、京都、神護寺の鐘銘が現存。59代宇多天皇に仕えた。

『古今集』の歌
「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」

(訳)秋が来たと、はっきりと目にはみえないけれど、風の音で(秋の到来に)はっと気づきました。

21. いま来むと いひしばかりに 長月の ありあけの月を 待ち出でつるかな / 素性法師

21. いま来むと いひしばかりに 長月の ありあけの月を 待ち出でつるかな / 素性法師(そせいほうし)

(読み)いまこんと いいしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな

(訳)「すぐ来るよ」とあなたが言ったから待っていたのに、長月の明け方の月が出るまで待ちあかしてしまったわ。

(解説)
・長月・・九月

・有明の月・・明け方に残る月

・「一晩中待った」という「一夜説」と、春から秋まで、長月(9月)まで数ヶ月も待ったという「月来説(つきごろせつ)」がある。

・女性の気持ちになって詠んだ歌。


(作者)素性法師(そせいほうし)。良岑玄利(よしみねのはるとし)。三十六歌仙の1人。僧正遍照(12「あまつかぜ」)の息子。

56代・清和天皇に仕えた。書家としても有名。

 

22. 吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ / 文屋康秀

22. 吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ / 文屋康秀(ふんやのやすひで)

(読み)ふくからに あきのくさきの しおるれば むべやまかぜを あらしというらん

(訳)ふきおろすとすぐに秋の草木がしおれてしまうので、なるほどそれで山からの風を荒々しい嵐というのであろうか。

(解説)
・「吹くからに」・・吹くとすぐに

・「むべ」・・なるほど


(作者)文屋康秀(ふんやのやすひで)。六歌仙三十六歌仙の1人。下級官吏の官人。歌集『句題和歌』。

三河(愛知県)に赴任する際に、小野小町(9「花の色は」)を誘ったと言われる。

文屋朝康(ふんやのあさやす)(37「しらつゆに」)の父。

 

23. 月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど / 大江千里

23. 月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど / 大江千里(おおえのちさと)

(読み)つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど

(訳)月を見ればあれこれ物悲しくなってしまうなあ。(白楽天のように)私一人だけの秋ではないのだけれど。

(解説)
・唐の詩人・白楽天の「白氏文集(はくしもんじゅう)」の漢詩、「秋の夜は自分一人のためにだけ長い」を元に詠まれた。

・漢詩を和歌にアレンジして詠むのが得意だった。


(作者)大江千里(おおえのちさと)。平安初期の漢学者・大江音人(おおえのおとんど)の息子。

在原業平(17)、在原行平(16)の甥。菅原道真(24)と並ぶ漢学者。阿保親王のひ孫。文章博士(もんじょうはかせ)。

 

(参考)
白楽天『白氏文集』の『燕子楼(えんしろう)』という詩。

燕子楼中霜月夜
えんしろう ちゅうそうげつのよる

秋来只為一人長
あききたって ただひとりのためにながし

(亡くなった国司の愛妓が燕子楼で長年一人暮らしていた。月の美しい秋寒の夜に「残されたわたし一人のため、こうも秋の夜は長いのか」と詠んだ。)

 

24. このたびは ぬさもとりあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに / 菅家

24. このたびは ぬさもとりあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに / 菅家(かんけ)

(読み)このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに

(訳)今度の旅ではお供えする幣も用意できていません。手向山の美しい紅葉を幣の代わりにするので神の御心にお任せします。

(解説)
・898年10月、59代・宇多天皇のお供をして吉野の宮滝へ行き、奈良坂へさしかかったときの歌。

・幣(ぬさ)、錦、紅葉を知的で華麗な連想でつないだ一首。


(作者)菅家(かんけ)は尊称。菅原道真(すがわらのみちざね)。文章博士。優れた学者、大物政治家。59代宇多天皇に重用され、右大臣にまで登った。

遣唐使の廃止を提案。(参議篁(11「わたのはらや)が最初に提案)。901年、無実の罪で藤原時平に大宰府に左遷される。

九州太宰府を始め全国の天満宮で天神様、学問の神様として信仰を集める。

漢詩集『菅家文草(かんけぶんそう)』『菅家後集(かんけこうしゅう)』

(参考)『応天の門』灰原薬

 

28. 山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば / 源宗于朝臣

28. 山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば / 源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)

(読み)やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもえば

(訳)山里はとりわけ冬がさびしさがまさって感じられるものです。訪ねてくる人もなく、草木も枯れてしまうことを思うと。


(作者)源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)。三十六歌仙の1人。光孝天皇(15「君がため春」)の孫。臣籍に降り源性になる。『古今集(古今和歌集)』に15首の歌が残る。

 

 

29. 心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 / 凡河内躬恒

29. 心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 / 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

(読み)こころあてに おらばやおらん はつしもの おきまどわせる しらぎくのはな

(訳)慎重に折るなら折れるでしょうか。一面に降りた初霜で見分けが付かなくなっている白菊の花が。


(作者)凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)。三十六歌仙の一人。『古今集』の撰者の一人。

59代宇多天皇、60代醍醐天皇に仕えた。勅撰集に200首の歌が残る歌人。

 

 

 

30. 有明けの つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし / 壬生忠岑

30. 有明けの つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし / 壬生忠岑(みぶのただみね)

(読み)ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし

(訳)明け方の月が冷ややかに空に残っていたように、あなたが冷たく見えた別れ以来、夜明けほど辛いものはありません。

(解説)
・暁(あかつき)・・午前3時ごろ、まだ暗い時間。

・有明の月・・旧暦の16日以降の、夜明け前の空に残る月。


(作者)壬生忠岑(みぶのただみね)。初の勅撰和歌集『古今和歌集』の撰者

壬生忠見(41「恋すてふ」)の父。三十六歌仙の一人。

『忠岑十体(ただみねじゅったい)』(歌論集)を残す。

 

31. 朝ぼらけ 有明けの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 / 坂上是則

31. 朝ぼらけ 有明けの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 / 坂上是則(さかのうえのこれのり)

(読み)あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき

(訳)夜がほのぼのと明ける薄明りのころ、明け方の月で明るいのかと見間違うほどに吉野の里に雪が降り積もっています。

(解説)
・奈良・吉野を旅したときに宿で詠んだ歌。

・朝ぼらけ・・夜明け前のまだ暗い頃。あたりがほのかに明るくなるころ。


(作者)坂上是則。三十六歌仙の1人。蝦夷討伐の征夷大将軍・坂上田村麻呂の四代目の孫。蹴鞠が得意で60代醍醐天皇の前で206回蹴り上げ、褒美に絹をもらった。

<奈良・吉野>
・吉野はこの頃はまだ桜ではなく、雪という感じ。

・吉野は天武天皇が壬申の乱で挙兵した場所。持統天皇は吉野の地がお気に入りで33回訪れたという。

32. 山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ もみぢなりけり / 春道列樹

32. 山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ もみぢなりけり / 春道列樹

やまがわに かぜのかけたる しがらみは ながれもあえぬ もみじなりけり(はるみちのつらき)

(訳)山あいを流れる川に風がかけた柵(しがらみ)は、流れたくとも流れていけない紅葉だったのだなあ。

(解説)
・山川(やまがわ)・・山あいを流れる小さな川

・京都から比叡山のふもとを通り、近江(滋賀県)に抜ける山道の途中に作った歌。

・上の句が問いで下の句が答えになっている。

・しがらみ(柵)を作ったのは人ではなく風だった、という擬人法が評価された。


(作者)春道列樹(はるみちのつらき)。910年頃、歴史を学ぶ文章生だった。この句で有名になった。