08新古今和歌集 – ページ 2 – 百人一首note

87. 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ / 寂蓮法師

87. 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ / 寂蓮法師(じゃくれんほうし)

(読み)むらさめの つゆもまだいぬ まきのはに きりたちのぼる あきのゆうぐれ

(訳)にわか雨が降ってきて、そのしずくもまだ乾ききらない杉や槇の葉に、霧が立ち上っている秋の夕暮れだなあ。

(解説)
・水墨画を眺めているような幻想的な秋の情景。

・村雨(むらさめ)・・秋から冬にかけて降る激しいにわか雨。

・まだひぬ・・まだ乾かない


(作者)寂蓮法師(じゃくれんほうし)。藤原定長(さだなが)。『新古今集』撰者だが完成前に亡くなる。

幼少期に藤原俊成の養子となるが、実子の藤原定家が生まれたあと30代で出家。

『新古今集』の三夕(さんせき)の一首、「寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ」の歌もある。

 

89. 玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする / 式子内親王

(彼岸花 花言葉:情熱)

89. 玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする / 式子内親王

(読み)たまのおよ たえねばたえね ながらえば しのぶることの よわりもぞする(しょくしないしんのう)

(訳)命よ。絶えてしまうなら絶えておくれ。このまま生きたならば恋心をこらえる気持ちが弱ってしまい人目につくと困るから。

(解説)
・人目を忍ぶ恋


(作者)式子内親王(しょくしないしんのう)。後白河天皇の第3皇女、賀茂の斎院。

藤原俊成(83「よのなかよ」)や、息子の定家(97「来ぬ人を」)から、歌の指導を受けた。10歳年下の定家への思いを詠んだ歌とされる。

新古今集の代表歌人。

91. きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む / 後京極摂政前太政大臣

91. きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む / 後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)

(読み)きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねん

(訳)こおろぎが鳴いている霜の降りた夜、寒々としたむしろに着物の片袖を敷いて、独り寝するのだろうか。

(解説)
・霜の降りた夜の独り寝のわびしさ

・妻に先立たれた辛い思いをこの歌に詠んだ。

・(3)「あしびきの」の本歌取。


(作者)後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)。藤原(九条)良経。

『新古今集』の撰者の一人で仮名序を執筆。家集『秋篠月清集(あきしのげっせいしゅう)』。38才で亡くなる。

父は藤原(九条)兼実(かねざね)、祖父は藤原忠道(76「わたのはら 漕ぎいでて」)、叔父は慈円(95)。

 

(七十二候・閉塞成冬(そらさむくふゆとなる))
片山に入り日のかげはさしながら しぐるともなき冬の夕暮れ(藤原良経)

 

 

94. み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣打つなり / 参議雅経

94. み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣打つなり / 参議雅経(さんぎまさつね)

(読み)みよしのの やまのあきかぜ さよふけて ふるさとさむく ころもうつなり

(訳)吉野の山の秋風が吹くころ、夜も更けて、この古い里は寒さが身にしみて、寒々と衣を打つ音が聴こえてくる。

(解説)
・山に響く衣を打つ音の寂しさ

・坂上是則(31「朝ぼらけ」)の歌をもとに詠んだ本歌取りの歌。
「み吉野の 山の白雪 つもるらし ふるさと寒く なりまさるなり」。

・衣を打つ、砧(きぬた・木槌)の響きは漢詩(李白)の世界から取り込まれた情趣。


(作者)参議雅経(さんぎまさつね)。藤原雅経。『新古今和歌集』の撰者の一人。

けまりの名門・飛鳥井家を興した。(本歌取りの元の歌、坂上是則も蹴鞠の名手であった)。後鳥羽上皇より「蹴鞠長者」と評される。