(佐渡・順徳上皇 行主所跡)
100. 百敷や ふるき軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり / 順徳院(じゅんとくいん)
(読み)ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なおあまりある むかしなりけり
(訳)宮中の古い軒端の下に生えている忍草を見ると、やはりしのぶにもしのびつくせないのは、栄えていた昔のことであるよ。
(解説)
・栄えていた時代を懐かしむ心
・ももしき・・宮中。「ももしき」は「大宮」にかかる枕詞だった。
(ももしきの大宮人はいとまあれや 桜かざして今日も暮らしつ ー山部赤人)
・軒端(のきば)・・屋根の下の方のはじ
・しのぶにも・・「しのび草」と「昔をしのぶ」の掛詞。
(作者)順徳院(じゅんとくいん)。84代天皇。詩歌・音楽に没頭。後鳥羽院(99「人もおし」)の第三皇子。
歌論書『八雲御抄(やくもみしょう)』を記した。和歌を藤原定家に習う。
1216年、20歳のときにこの歌を詠んだ。5年後の1221年、承久の乱で後鳥羽院と共に流刑。父の後鳥羽院は隠岐島(島根県)へ、息子の順徳院は佐渡(新潟県)に流された。