藤原定家(1162~1241)
小倉百人一首の撰者。「97来ぬ人を」の作者。権中納言定家。日記『明月記』。
宇都宮頼綱(息子の妻の父)に依頼されて嵯峨野の小倉山の別荘に飾るための歌を選んだ。
定家の父、藤原俊成(83世の中よ)は「幽玄(神秘的で奥深い美)」を提唱。
定家はそれにもとづいた芸術性の高い和歌を選んで『新古今和歌集』(13C初、鎌倉時代)をつくった。後鳥羽院の勅命。(『古今和歌集』は10C初、平安時代)。
定家が唱えた「有心体(うしんたい)」とは趣深い内容を優美に表現する風情のある読み方。和歌の究極とされた。
また源氏物語の書写をして後世に残した。