百人一首メモ – 楽しく百人一首

藤原定家

藤原定家(1162~1241)

小倉百人一首の撰者。「97来ぬ人を」の作者。権中納言定家。日記『明月記』。

宇都宮頼綱(息子の妻の父)に依頼されて嵯峨野の小倉山の別荘に飾るための歌を選んだ。

定家の父、藤原俊成(83世の中よ)は「幽玄(神秘的で奥深い美)」を提唱。

定家はそれにもとづいた芸術性の高い和歌を選んで『新古今和歌集』(13C初、鎌倉時代)をつくった。後鳥羽院の勅命。(『古今和歌集』は10C初、平安時代)。

定家が唱えた「有心体(うしんたい)」とは趣深い内容を優美に表現する風情のある読み方。和歌の究極とされた。

また源氏物語の書写をして後世に残した。

 

百人一首【五十音順】歌全部版

百人一首【五十音順】歌全部版  歌一部版

   え     く け 
    そ     て と
 に ぬ ね の     へ 
ま         

 あ 79 秋風に秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出ずる月の影のさやけさ あきかぜに
1 秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ あきのたの
52 明けぬれば暮るるものとは知りながら なお恨めしき朝ぼらけかな あけぬれば
39 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき あさじうの
31 朝ぼらけ有明けの月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪 あさぼらけあ
64 朝ぼらけ宇治の川霧絶えだえに あらはれ渡る瀬々の網代木 あさぼらけう
3 あしびきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寝む あしびきの
78 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に 幾夜ねざめぬ須磨の関守 あわじしま
45 あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな あはれとも
43 逢い見てののちの心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり あひみての
44 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし あふことの
12 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ あまつかぜ
7 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山にいでし月かも あまのはら
56 あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今一たびの逢ふこともがな あらざらむ
69 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり あらしふく
30 有明けのつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし ありあけの
58 有馬山いなの笹原風吹けば いでそよ人をわすれやはする ありまやま
  61 いにしへの奈良の都の八重桜 今日九重ににほひぬるかな いにしへの
21 いま来むといひしばかりに長月の ありあけの月を待ち出でつるかな いまこむと
63 今はただ思ひたえなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな いまはただ
  74 憂かりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを うかりける
65 恨みわびほさぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ うらみわび
  5 奥山にもみじ踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき おくやまに
72 音にきく高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ おとにきく
60 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立 おおえやま
26 小倉山峰のもみじ葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ おぐらやま
95 おほけなくうき世の民におほふかな わがたつ杣にすみぞめのそで おほけなく
82 思ひわびさても命はあるものを 憂きにたへぬは涙なりけり おもひわび
  51 かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを かくとだに
6 かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞふけにける かささぎの
98 風そよぐならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける かぜそよぐ
48 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけて物を思ふころかな かぜをいたみ
  15 君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ きみがためは
50 君がためをしからざりし命さえ ながくもがなと思ひけるかな きみがためを
91 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む きりぎりす
  29 心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花 こころあてに
68 心にもあらで憂世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな こころにも
97 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くやもしほの身もこがれつつ こぬひとを
24 このたびはぬさもとりあへず手向山 もみぢの錦神のまにまに このたびは
41 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか こいすてふ
10 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関 これやこの
  70 さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづこも同じ秋の夕暮れ さびしさに
  40 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人の問ふまで しのぶれど
37 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける しらつゆに
  18 住の江の岸による波よるさへや 夢の通ひ路人めよくらむ すみのえの
  77 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末にあわむとぞ思ふ せをはやみ
  73 高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山の霞立たずもあらなむ たかさごの
55 滝の音は耐えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ たきのおとは
4 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は振りつつ たごのうらに
16 立ち別れいなばの山の峰におふる まつとし聞かば今帰り来む たちわかれ
89 玉の緒よ絶えねば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする たまのおよ
34 誰をかもしる人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに たれをかも
  75 ちぎりおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり ちぎりおきし
42 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波超さじとは ちぎりきな
17 ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは ちはやぶる
  23 月見ればちぢに物こそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど つきみれば
13 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる つくばねの
  80 ながからむ心も知らず黒髪の みだれて今朝はものをこそ思へ ながからむ
84 ながらえばまたこのごろやしのばれん 憂しと見し世ぞいまはこいしき ながらへば
53 嘆きつつ独りぬる夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る なげきつつ
86 嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな なげけとて
36 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ なつのよは
25 名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな なにしおはば
88 難波江の葦のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき なにわえの
19 難波潟短き葦のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや なにわがた
  96 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり はなさそふ
9 花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふる眺めせし間に はなのいろは
2 春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山 はるすぎて
67 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそ惜しけれ はるのよの
  33 ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ ひさかたの
35 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける ひとはいさ
99 人もをし人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆえに物思ふ身は ひともをし
  22 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ ふくからに
  81 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただありあけの月ぞ残れる ほととぎす
  49 みかきもり衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつ物をこそ思へ みかきもり
27 みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ みかのはら
90 見せばやな雄島のあまの袖だにも ぬれにぞぬれし色は変はらず みせばやな
14 みちのくのしのぶもぢずり誰ゆえに 乱れそめにし我ならなくに みちのくの
94 み吉野の山の秋風さ夜ふけて ふるさと寒く衣打つなり みよしのの
  87 村雨の露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕暮れ むらさめの
  57 めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな めぐりあひて
  100 百敷やふるき軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり ももしきや
66 もろともにあはれと思へ山ざくら 花よりほかに知る人もなし もろともに
  59 やすらはで寝なましものを小夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな やすらはで
47 八重むぐら茂れる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり やへむぐら
32 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり やまかわに
28 山里は冬ぞさびしさまさりける 人目も草もかれぬと思へば やまざとは
  71 夕されば門田の稲葉おとづれて 葦のまろやに秋風ぞふく ゆうされば
46 由良の門をわたる舟人かぢをたえ ゆくへも知らぬ恋の道かな ゆらのとを
  93 世の中は常にもがもな渚こぐ あまの小舟の綱手かなしも よのなかは
83 世の中よ道こそなけれ思い入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる よのなかよ
85 夜もすがらもの思ふころは明けやらで ねやのひまさへつれなかりけり よもすがら
62 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ よをこめて
  8 わが庵は都のたつみしかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり わがいおは
92 わが袖は潮干にみえぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし わがそでは
38 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな わすらるる
54 忘れじの行く末まではかたければ 今日を限りの命ともがな わすれじの
76 わたの原こぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波 わたのはらこ
11 わたの原八十島かけてこぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟 わたのはらや
20 わびぬればいまはた同じ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ わびぬれば

 

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百人一首と勅撰和歌集10冊

勅撰和歌集について

・「勅撰(ちょくせん)和歌集」とは、天皇や上皇の命によりまとめられた公式の和歌集のこと。

・百人一首はそれまでの勅撰和歌集10冊の中から選ばれている。

・飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、約600年の間に歌われた名歌が収められている。

・百人一首には『古今和歌集』から選ばれた歌が一番多く、24首選ばれている。

平安前期 905 01 古今和歌集 (24) こきん
951 02 後撰和歌集 (7) ごせん
平安中期 1005 03 拾遺和歌集 (11) しゅうい
1086 04 後拾遺和歌集 (14) ごしゅうい
平安後期 1127 05 金葉和歌集 (5) きんよう
1151 06 詩歌和歌集 (5) しか
平安末期 1187 07 千載和歌集 (14) せんざい
鎌倉時代 1205 08 新古今和歌集 (14) しんこきん
1235 09 新勅撰和歌集 (4) しんちょくせん
1251 10 続後撰和歌集 (2) しょくごせん

 

 

百人一首・同じフレーズ

百人一首・同じフレーズ


・わが衣手~つつ

(1) 秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ

(15)君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ


・ひとりかも寝む

(3)あしびきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寝む

(91)きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む


・心も知らず

(35)人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける

(80) ながからむ心も知らず黒髪の みだれて今朝はものをこそ思へ


・ものをこそ思へ

(49)みかきもり衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ

(80) ながからむ心も知らず黒髪の みだれて今朝はものをこそ思へ


・夜半の月かな

57. めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな / 紫式部

68. 心にも あらで憂世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな / 三条院


・さ夜ふけて

59. やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな / 赤染衛門

94. み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣打つなり / 参議雅経


・名こそおしけれ

65. 恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ / 相模

67. 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ / 周防内侍


・秋の夕暮れ

70. さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ / 良暹法師

87. 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ / 寂蓮法師

 

 

百人一首の親子、家族

◆百人一首作者の親子関係など


1「秋の田の」 父 天智天皇
2「春すぎて」 娘 持統天皇


12「あまつかぜ」 父 僧正遍照
21「今こむと」  息子 素性法師


22「吹くからに」 父 文屋康秀
37「白露に」   息子 文屋朝康


25「名にしおはば」 父 三条右大臣
44「逢ふことの」  息子 中納言朝忠


26「小倉山」   曾祖父 貞信公(藤原忠平)
51「かくとだに」 ひ孫  藤原実方朝臣


27「みかの原」   曾祖父 中納言(藤原)兼輔
57「めぐりあいて」 母  紫式部
58「有馬山」    娘  大弐三位


30「有明けの」 父 壬生忠岑
41「恋すてふ」 子 壬生忠見


36「夏の夜は」 曾祖父 清原深養父
41「契りきな」  父 清原元輔
62「夜をこめて」 娘 清少納言


45「あはれとも」 祖父 謙徳公(藤原伊尹)
50「きみがため」 父 藤原義孝
62清少納言とやりとり 息子 藤原行成)


49「みかきもり」 祖父 大中臣能宣朝臣
61「いにしへの」 孫 伊勢大夫


55「滝の音は」 父 大納言公任
64「朝ぼらけ 宇治の」 息子 権中納言定頼


56「あらざらむ」 母 和泉式部
60「大江山」 娘 小式部内侍


71「夕されば」 祖父 大納言経信
74「憂かりける」 父 源俊頼朝臣
85「夜もすがら」 子 俊恵法師


76「わたのはら こ」 祖父 藤原忠道
95「おほけなく」 父 前大僧正慈円
91「きりぎりす」 孫 藤原義経


79「秋風に」 父 藤原顕輔
84「長らへば」 息子 藤原清輔


83「世の中よ」 父 藤原俊成
97「来ぬ人を」 息子 藤原定家


99「人もをし」 父 後鳥羽院
100「ももしきや」 息子 順徳院


 

梨壺の5人

梨壺(なしつぼ)の5人

•  清原元輔 (42「契りきな」)→清少納言(62「よをこめて」)の父

•  大中臣能信(おおなかとみのよしのぶ)→伊勢大輔(61「いにしえの」)の祖父

•  源順(みなもとのしたごう)→三十六歌仙のひとり

•  紀時文(きのときぶみ)→紀貫之 (35「人はいさ」)の息子

• 坂上望城 (さかのうえのもちき)

「梨壺の五人」天暦5年村上天皇の命により、昭陽舎に置かれた和歌所の寄人(よりうど)。

昭陽舎の庭には梨の木が植えられていたことから梨壺と呼ばれた。

『万葉集』の解読、『後撰和歌集』の編纂などを行った。

 

蔵人頭(くろうどのとう)

蔵人頭(くろうどのとう)・・天皇の秘書。殿上の事務一切を取り仕切る激務。

エリートコースの重大な通過点。後に出世しやすい。

定員は2名。
近衛・このえ(内裏の警備の武官)と弁官・べんかん(文書の文官)から1人ずつ選ばれる。

• 頭中将(とうのちゅうじょう)• • 近衛中将(このえちゅうじょう)を兼任する蔵人頭。

在原業平、藤原斉信(ただのぶ)など。容姿端麗の華のある感じ。

• 頭弁(とうのべん)• • 弁官を兼任する蔵人頭

藤原行成など