百人一首メモ – ページ 3 – 楽しく百人一首

三十六歌仙

三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)

平安時代の和歌の名人36人の総称。
藤原公任(55「滝の音は」)の『三十六人撰』に載っている。


★「三十六歌仙」×「百人一首」

柿本人麻呂 3「あしびきの」
山部赤人 4「たごのうらに」
猿丸大夫 5「おくやまに」
・大伴家持
・僧正遍昭
・在原業平
・小野小町
・藤原兼輔
・紀貫之
・凡河内躬恒
・紀友則
・壬生忠岑
・伊勢
藤原興風
藤原敏行
源公忠
源宗于
素性法師
大中臣頼基
坂上是則
源重之
藤原朝忠
藤原敦忠
藤原元真
源信明
斎宮女御
藤原清正
藤原高光
小大君
中務
藤原仲文
清原元輔
大中臣能宣
源順
壬生忠見
平兼盛


(Wikipediaへのリンク)

柿本人麻呂
山部赤人
大伴家持
猿丸大夫
僧正遍昭
在原業平

小野小町
藤原兼輔
紀貫之
凡河内躬恒
紀友則
壬生忠岑

伊勢
藤原興風
藤原敏行
源公忠
源宗于
素性法師

大中臣頼基
坂上是則
源重之
藤原朝忠
藤原敦忠
藤原元真

源信明
斎宮女御
藤原清正
藤原高光
小大君
中務

藤原仲文
清原元輔
大中臣能宣
源順
壬生忠見
平兼盛

 

古典言葉メモ

天皇の妃→中宮(1人)、女御(複数)、更衣(複数)

更衣(こうい)・・女御 (にょうご) に次ぐ後宮の女官。天皇の衣替えをつかさどる役であったが、のち、寝所に奉仕するようになった。

~奥さんとしての地位~
皇后(正妻)≧中宮>女御>更衣>>│愛人という壁│>女房>女官
※女房・女官は愛人どまり。奥さんとして公的には認められない
※中宮・女御・更衣は側室(Yahoo知恵袋より)

後宮(こうきゅう)・・皇后が住む宮殿

内裏(だいり)・・天皇の住む御殿

行幸(みゆき)・・天皇の外出。

舎人(とねり)・・警備員

公達(きんだち)・・親王・貴族など身分の高い家柄の青少年

近衛(このえ)・・警護

蔵人(くろうど)・・天皇の秘書。役人。

親王(しんのう)・・天皇と皇后の息子。プリンス。

内親王(ないしんのう)・・天皇と皇后の娘。プリンセス。

除目(じもく)・・官を任命する儀式。正月は国司などの地方官を任じた。

寵妃(ちょうひ)・・君主の特にお気に入り。

勅使(ちょくし)・・天皇の代理の使者。

夭折(ようせつ)・・まだ年若いうちに亡くなること。

内侍(ないし)・・内侍司(ないしのつかさ)という役所に勤める女官の総称。天皇の秘書。

内侍は、尚侍(ないしのかみ=帝の妃のようなもの)、典侍(ないしのすけ)、掌侍(ないしのじょう)など。

中の君(なかのきみ)・・次女の姫。

乳母(めのと、うば)・・母に代わって子育てをする女性。

乳母子(めのとご、うばこ)・・乳母の子供。

官吏(かんり)・・役人。

国主(こくしゅ)・・県知事のようなもの。

 

 

百人一首について

•  小倉百人一首

藤原定家が撰者。親戚の宇都宮頼綱の依頼。嵯峨野・小倉山の別荘の障子に貼る色紙として。

天智天皇から順徳院まで。約600年間の歌から選んだ。一人一首。男性79人、女性21人。恋の和歌43首、秋の和歌16首。親子が18組。


•  藤原定家

97番「来ぬ人を」の作者。権中納言定家。

「新古今和歌集」の撰者。後鳥羽上皇の前でも意見を曲げなかった。日記「明月記」56年間。


百人一首の3分の1は藤原氏。

かつて大和朝廷を支えた名族のほとんどは消えていく。紀氏、小野氏、阿部氏、壬生氏、菅原氏、清原氏。。

百人一首に残る彼らの和歌は氏族の「辞世の句」か。。平安時代は藤原氏の台頭。


むすめふさほせ 1枚
うつしもゆ 2枚
いちひき 3枚
はやよか 4枚
み 5枚
たこ 6枚
わお 7枚
な 8枚
あ 16枚