2023年6月 – 楽しく百人一首

40. 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人の問ふまで/平兼盛

40. 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人の問ふまで/平兼盛(たいらのかねもり)

しのぶれど いろにいでにけり わがこいは ものやおもうと ひとのとうまで

(訳)
人に知られないように隠してきたけれど、私の恋心は顔色に出てしまったようです。恋に悩んでいるでしょうかと人から尋ねられるほどに。

(解説)
・960年村上天皇の「天徳内裏歌合わせ」で「しのぶ恋」で詠まれた。壬生忠実(41恋すてふ)と対決し、こちらの「忍ぶれど」が勝った。


(作者)
平兼盛(たいらのかねもり)。(平清盛とは関係ない)。三十六歌仙の一人。光孝天皇(15きみがため)のひ孫。

 

41. 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか/壬生忠見

41. 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか/壬生忠見(みぶのただみ)

こいすちょう わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもいそめしか

(訳)恋をしている私のうわさは早くも広まってしまいました。誰にも知られないように心の中で思い始めたばかりなのに。

(解説)
・960年・天徳内裏歌合わせで40「しのぶれど」と対決した。摂津からはるばる都にやってきた。


(作者)
壬生忠見(みぶのただみ)。摂津国の下級役人。30「有明の」の壬生忠岑が父。

父子ともに三十六歌仙

 

42. 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波超さじとは/清原元輔

42. 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波超さじとは/清原元輔(きよはらのもとすけ)

(読み)ちぎりきな かたみのそでを しぼりつつ すえのまつやま なみこさじとは

(訳)約束しましたよね。涙にぬれた袖を絞りながら。末の松山を波が決して越さないように2人の愛も変わらないと。

(解説)
・末の松山・・宮城にある松の名所。

・869年の貞観(じょうがん)地震の際も、波は末の松山を越えなかった。

・作者の清原元輔が代理で詠んだ。

・古今集の「君をおきて あだし心を わがもたば 末の松山 浪もこえなむ」をもとにした。


(作者)
清原元輔(きよはらのもとすけ)(908~990)。清少納言(62「夜を込めて」)の父。清原深養父( 36「夏の夜は」)の孫。

「後撰集」をまとめた「梨壺の五人」のうちの一人。三十六歌仙の一人。

 

43. 逢い見てののちの心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり / 権中納言敦忠

43. 逢い見てののちの心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり / 権中納言敦忠

(読み)あいみてののちのこころにくらぶれば むかしはものをおもわざりけり(ごんちゅうなごんあつただ)

(訳)あなたと一夜を過ごしたあとの恋しい心に比べれば昔の悩みなど悩みのうちに入らなかったなあ。

(解説)
・後朝(きぬぎぬ)の歌


(作者)
権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)。藤原敦忠。藤原時平の三男。

歌の才能と美貌に恵まれた恋多き貴公子。琵琶の名手で「琵琶中納言」とも呼ばれた。37才と若くして亡くなる。

右近(38「忘らるる」)が歌を送った相手。

 

44. 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし/中納言朝忠

44. 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし/中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)

(読み)おうことの たえてしなくは なかなかに ひとをもみをも うらみざらまし

(訳)あの人とあって結ばれることが一度もなければ、かえってあの人の冷たさもわが身の辛さもこんなにうらむことはなかったのに。

(解説)
・960年・天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)での歌。


(作者)
中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)。藤原朝忠。三条右大臣・藤原定方25「名にしおはば」が父。三十六歌仙の一人。

笙(しょう)や笛の名手。右近をはじめ多くの女性と恋のうわさになった。

 

45. あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな/謙徳公

45. あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな / 謙徳公

(読み)あわれともいうべきひとはおもおえで みのいたずらになりぬべきかな(けんとくこう)

(訳)
かわいそうだと言ってくれそうな人も思い浮かばないまま、私はきっとこのままむなしく死んでしまうのだろうなあ。


(作者)
謙徳公(けんとくこう)。藤原伊尹(ふじわらのこれただ)。

右大臣・藤原師輔(もろすけ)の子。貞信公(藤原忠平)26「小倉山」の孫。藤原義孝50「君がためお」の父。

娘の懐子(かねこ)が生んだ皇子が65代・花山天皇となった。つまり花山天皇の祖父。

 

46. 由良の門をわたる舟人かぢをたえ ゆくへも知らぬ恋の道かな/曽禰好忠

46. 由良の門をわたる舟人かぢをたえ ゆくへも知らぬ恋の道かな/曽禰好忠(そねのよしただ)

ゆらのとを わたるふなびと かじをたえ ゆくえもしらぬ こいのみちかな

(訳)由良の海峡を渡る舟人がかいを失って行く先も分からず漂っているように私の恋の道もどうなるか分からない。

(解説)
・由良の門・・京都府の由良川が若狭湾に流れ込むあたり。門(と)は水流の出入りする海峡。


(作者)
曽禰好忠(そねのよしただ)。丹後(京都北部)の掾(じょう)という役人。

(※四等官。長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん))

自由、新鮮で個性的な歌を詠んだ。「新古今和歌集」に歌が載った。

 

47. 八重むぐら茂れる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり/恵慶法師

47. 八重むぐら茂れる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり/恵慶法師(えぎょうほうし)

やえむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり

(意味)むぐら(つる草)が生い茂ったさびしい家に人は来ないけれど、秋だけはやってきたなあ。

(解説)
河原左大臣(源融・みなもとのとおる)(14「みちのくの」)の豪華な邸宅「河原院・かわらのいん」(京都六条)に、ひ孫の安保(あんぽう)法師が住んでいた。

ここに友人の恵慶法師が尋ねたときに詠んだ歌。百年が過ぎて、有名だった広い庭園も寂れてしまった。

 


(作者)
恵慶法師(えぎょうほうし)。65代花山天皇(984)の頃の播磨国(兵庫)の国分寺の僧。自然を読むのが得意だった。

平兼盛(40「しのぶれど」)や、源重之(48「風をいたみ」)と親しかった。

 

48. 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけて物を思ふころかな/源重之

48. 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけて物を思ふころかな/源重之(みなもとのしげゆき)

かぜをいたみ いわうつなみの おのれのみ くだけてものを おもうころかな

(訳)あまりに風が激しいので岩を打つ波が砕け散るように、私の心もくだけて思い悩んでいるこの頃よ。

(解説)
・「風をいたみ」・・あまりに風が激しいので


(作者)
源重之(みなもとのしげゆき)。56代清和天皇のひ孫。63代冷泉天皇に仕えた。三十六歌仙の一人。日本全国を旅して歌を詠んだ。

49. みかきもり衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつ物をこそ思へ/大中臣能宣朝臣

49. みかきもり衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつ物をこそ思へ/大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)

みかきもり えじのたくひの よるはもえ ひるはきえつつ ものをこそおもえ

(訳)宮中の衛士のたくかがり火のように、私の恋心も夜は燃え、昼には消えてしまうように思い悩むころです。

(解説)
・みかきもり・・宮中の門を守る兵士。御垣守。

・衛士(えじ)・・宮中を昼夜交代で守るため地方から集められた兵士。


(作者)
大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)。伊勢神宮の神官の家に生まれる。祖先は中臣氏。

伊勢大夫「61「いにしへの」の祖父。「後撰和歌集」をまとめた「梨壺の5人」の一人。