08新古今和歌集 – 楽しく百人一首

2. 春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山 / 持統天皇

2. 春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山 / 持統天皇

はるすぎてなつきにけらししろたえの ころもほすちょうあまのかぐやま(じとうてんのう)

(訳)春が過ぎていつのまにか夏が来たらしい。天の香具山に真っ白な衣が干してあるのだから。

(語句)
・「けらし」・・「ける」+「らし」(推定)

※「らし」は客観的な事実に基づいた推定。「①客観的な事実」があって+「②だから~らしい」と推定する。この歌は倒置法で「②~らしい」+「①だって~(事実)だから」となる。

・「白妙の」・・「衣」にかかる枕詞。白い布。「白妙の」は他に雪、雲、袖、ひもなどにかかる。

・「てふ(ちょう)」・・「といふ」が詰まったもの

 

(解説)
・「万葉集」は「春過ぎて夏来たるらし白妙の 衣干したり天の香久山」

・万葉集の方は「干したり」で目の前のことを歌っているが、「新古今集」の「干すてふ(干すといふ)」では、「干すと伝えられている」と、天の香具山の伝承を取り込むような形になっている。

・天上から降りてきたという神話的な伝説から「天の」を冠する。

 


(作者)持統天皇:40代目天皇。1「秋の田の」の天智天皇の娘。第二皇女(おうじょ・ひめみこ・こうじょ)。天武天皇の妻。都を飛鳥から移す。日本最古の都、藤原京を開いた。

 

天の香具山は、神の住む山とされている。

「大和三山」は香具山(かぐやま)、畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)。信仰の対象とされていた。

藤原京条坊

引用:Wikipedia大和三山

藤原宮から見て左手に天の香具山が見えたと思われる。後ろに耳成山、右手に畝傍山。

 

 

4. 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は振りつつ/山辺赤人

4. 田子の裏にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は振りつつ/山辺赤人(やまべのあかひと)

たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ

(訳)
田子の裏の海辺に出て真っ白い富士山をあおぎ見ると、その高い峰に雪が降り続いている

(語句)
・万葉集では「田子の浦ゆ 打ち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」だった。平安時代はやわらかな語調が好まれたので詠み替えられた。

・「田子の浦」は静岡県富士市にある海岸。

・「白妙の」は「富士」にかかる枕詞。「真っ白い」という意味。

・「降りつつ」は反復、継続。「降り続いている」の意味。


(作者)
山辺赤人(やまべのあかひと):宮廷歌人。奈良時代、43元明、44元正、45聖武天皇の頃に活躍。自然を見て景色を詠むことが得意な叙景歌人。

万葉集では「山部」、百人一首では「山辺」。

3「あしびきの」の柿本人麻呂とともに「歌聖(かせい)」と呼ばれていた。

6「かささぎの」中納言家持(大伴家持)には「山柿(さんし)」と呼ばれ尊敬されていた。

 

6. かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞふけにける/中納言家持

6. かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞふけにける/中納言家持

かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける(ちゅうなごんやかもち)

(訳)かささぎがかけ渡したという天の川の橋のような宮中の階段に、真っ白な霜が降りている。すっかり夜も更けてしまったなあ。

(解説)
・宮中は「天上」とも呼ばれるため、宮中の御殿に渡した「階段」と、「天の川にかけた橋」とをかけた。

・かささぎは黒と白の鳥。織姫と彦星が七夕に年に1回会うとき天の川にかかって橋になってくれると言われている。

  

(夏の大三角形。こと座ベガ(織姫)、わし座アルタイル(彦星)、はくちょう座デネブ(かささぎ))


(作者)
中納言家持(ちゅうなごんやかもち):大伴家持(おおとものやかもち)(718~785)。奈良時代末期。万葉集の歌人であり、万葉集をまとめた撰者でもある。三十六歌仙の一人。

家持の父は大伴旅人(おおとものたびと)(酒の歌を多く残した。)

大伴氏は武人として朝廷に仕えた名門で、歌の家柄でもある。

 

19. 難波潟短き葦のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや/伊勢

19. 難波潟短き葦のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや/伊勢(いせ)

なにわがた みじかきあしの ふしのまも あわでこのよを すぐしてよとや

(訳)あなたに会わずに1人で過ごせというの。そんなの無理。葦のふしのような短い間でもあなたに会いたい。


(作者)
伊勢(いせ)。三十六歌仙の1人。父が伊勢守(三重県)。59代宇多天皇の中宮、温子に仕えた。

藤原仲平に送った返歌とされる。仲平は、時の関白・藤原基経の次男、穏子(60代・醍醐天皇の中宮)の兄。

※藤原基経の子は、長男・時平(菅原道真を左遷)、次男・仲平(伊勢に18「難波潟」の歌をもらう)、三男・忠平(性格温厚)。

伊勢は恋多き女性で、仲平の兄の藤原時平や、59代宇多天皇にも愛され、宇多天皇との間には皇子ももうけた。

後に宇多天皇の第四皇子・敦慶(あつよし)親王と結婚。娘の中務(なかつかさ)も歌人。

27. みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ/中納言兼輔

27. みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ/中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ)

みかのはら わきてながるる いずみがわ いつみきとてか こいしかるらん

(訳)みかの原を分けて湧き流れる泉川の名のように、あなたをいつ見たということでこんなに恋しいのだろうか

(解説)
・まだ逢ったことのない人への恋心がつのる歌。

・泉川・・現在の木津川


(作者)
中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ)。藤原兼輔。三十六歌仙の1人。堤(つつみ)中納言と呼ばれた。

藤原冬嗣のひ孫。藤原為時の祖父。紫式部(「57めぐりあいて」)の曽祖父(ひいおじいちゃん)。

いとこの三条右大臣・藤原定方(25「名にしおはば」)とともに、醍醐朝の歌壇を支えた。

 

2024大河ドラマ「光る君へ」第2回
「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」
(訳)子を持つ親の心は闇というわけではないが、子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものです。

 

46. 由良の門をわたる舟人かぢをたえ ゆくへも知らぬ恋の道かな/曽禰好忠

46. 由良の門をわたる舟人かぢをたえ ゆくへも知らぬ恋の道かな/曽禰好忠(そねのよしただ)

ゆらのとを わたるふなびと かじをたえ ゆくえもしらぬ こいのみちかな

(訳)由良の海峡を渡る舟人がかいを失って行く先も分からず漂っているように私の恋の道もどうなるか分からない。

(解説)
・由良の門・・京都府の由良川が若狭湾に流れ込むあたり。門(と)は水流の出入りする海峡。


(作者)
曽禰好忠(そねのよしただ)。丹後(京都北部)の掾(じょう)という役人。

(※四等官。長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん))

自由、新鮮で個性的な歌を詠んだ。「新古今和歌集」に歌が載った。

 

54. 忘れじの行く末まではかたければ 今日を限りの命ともがな/儀同三司母

54. 忘れじの行く末まではかたければ 今日を限りの命ともがな/儀同三司母(ぎどうさんしのはは)

わすれじの ゆくすえまでは かたければ きょうをかぎりの いのちともがな

(訳)忘れないよとあなたがおっしゃった言葉がずっと続くとは思えないので今日を最後に死んでしまいたいのです。


(作者)
儀同三司母(ぎどうさんしのはは)。高階貴子(たかしなのたかこ/きし)関白・藤原道隆の妻。伊周(これちか)、隆家(たかいえ)、定子(ていし)の母。

儀同三司(大臣と同格位)は伊周の官位。和歌や漢文にすぐれ高内侍(こうのないし)と呼ばれた。

57. めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな/紫式部

57. めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな/紫式部(むらさきしきぶ)

めぐりあいて みしやそれとも わかぬまに くもがくれにし よわのつきかな

(訳)久しぶりに巡り合い見たのかどうか分からないうちに雲間に隠れてしまった夜中の月のように、あなたはたちまち帰ってしまった。


(作者)
紫式部(むらさきしきぶ)。香子(かおりこ)。「源氏物語」の作者。藤原為時の娘。藤原信孝と結婚。娘は大弐三位(だいにのさんみ)58「有馬山」

夫と死別後、一条天皇の中宮、彰子(しょうし)に仕えた。

 

 

79.秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出ずる月の影のさやけさ/左京大夫顕輔

79.秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出ずる月の影のさやけさ/左京大夫顕輔

あきかぜに たなびくくもの たえまより もれいずるつきの かげのさやけさ(さきょうのだいぶあきすけ)

(訳)秋風が吹いて横にたなびいている雲の切れ間から漏れ出てくる月の光は明るく澄みきっている。

(語句)
・月の影・・月の光

(解説)
・秋風と月を取り合わせて清々しい光景を詠んだ。


(作者)左京大夫顕輔。(さきょうのだいぶあきすけ)。藤原顕輔。84「ながらえば」藤原清輔朝臣の父。

崇徳院(77「せをはやみ」)から「詞花和歌集(しかわかしゅう)」の撰者に命じられた。

 

 

84. ながらえばまたこのごろやしのばれん 憂しと見し世ぞいまはこいしき/藤原清輔朝臣

84. ながらえばまたこのごろやしのばれん 憂しと見し世ぞいまはこいしき/藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)

ながらえば またこのごろや しのばれん うしとみしよぞ いまはこいしき

(訳)生きながらえていたならば、辛い今のことも懐かしく思い出されるのだろうか。辛かった過去がいまは恋しく思うのだから。


(作者)藤原清輔朝臣(ふじわらきよすけのあそん)。父・藤原顕輔(79「秋風に」)とは折り合いが悪く、出世できず苦しい日々を送る。

 


ちはやふる3巻。練習でバテたかなちゃん。「過去、現在、未来を思う諦観の歌で…」

※諦観(ていかん)・・本質を明らかに見てとる。悟りの境地にあって物事をみること。