9. 花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふる眺めせし間に / 小野小町

9. 花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふる眺めせし間に / 小野小町

はなのいろはうつりにけりないたづらに わがみよにふるながめせしまに(おののこまち)

(訳)
桜の花の色ははかなく色あせてしまった。長雨が降り続く間に。私の容姿も同じように衰えてしまった。物思いにふけっている間に。

(解説)
・「眺め」と「長雨」が掛詞。

・「(長雨が)ふる」と「(世に)ふる」年月が経つの掛詞。

・いたずらに・・むなしく

・うつりにけりな・・色あせてしまった。「な」は感動の終助詞。


(作者)
小野小町。吉子。美女の代名詞。54代 仁明天皇の更衣。在原業平に思いを寄せていたとも言われる。六歌仙三十六歌仙の一人。

 

10. これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関 / 蝉丸

10. これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関 / 蝉丸

これやこのゆくもかえるもわかれては しるもしらぬもおうさかのせき(せみまる)

(訳)これがあの、東へ行く人も都へ帰る人も、ここで別れ、知っている人も知らない人も出会う逢坂の関なのですね。

(解説)
・「逢坂の関」は山城国(やましろのくに・京都)と近江国(おうみのくに・滋賀)の関所。

・歌枕(歌に出てくる地名)や、「逢ふ」との掛詞にもよく使われる。

・「逢うは別れの始め」という「会者定離(えしゃじょうり)」を詠んだとの解釈も。会っては別れ、別れては会うのが人生のならいだという仏教的な感慨も。


(作者)
蝉丸:琵琶、蝉歌(声を絞って歌う)の名手。

・「今昔物語」では59代宇多天皇の皇子、敦実(あつざね)親王に仕えたと言われている。

・62「夜を込めて」にも「逢坂の関」が出てくる。


・「逢坂の関」は「鈴鹿の関」「不和の関」と並ぶ三関の一つ。逢坂の関を越えれば東国とされた。

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(引用:Wikipedia)

11. わたの原八十島かけてこぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟 / 参議篁

11. わたの原八十島かけてこぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟 / 参議篁

わたのはらやそしまかけてこぎいでぬと ひとにはつげよあまのつりぶね(さんぎたかむら)

(訳)
大海原に浮かぶたくさんの島をめざして漕ぎ出していったと、人には伝えておくれ。漁師の釣り舟よ。

(解説)
・わたの原=大海原

・八十島=たくさんの島

・あま=漁師


(作者)
参議篁(さんぎたかむら)(802~852)。小野篁(おののたかむら)。小野妹子の子孫。漢詩や学問にすぐれた学者。21才で文章生(もんじょうしょう)になる。

承和5年(838年)、優秀で36才で遣唐副使に選ばれるも、壊れた船をあてがわれたため仮病で乗船拒否。

さらに遣唐使を批判する詩を書いて52代嵯峨上皇を怒らせてしまい、隠岐に流される。2年後、54代仁明天皇に許されて都に戻り参議にすすんだ。

昼は官僚、夜は閻魔大王の相談役という二刀流をこなした人物とも伝えられる。

 

12. 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ/僧正遍昭

12. 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ / 僧正遍昭

あまつかぜくものかよいじふきとじよ おとめのすがたしばしとどめん(そうじょうへんじょう)

(訳)大空を吹く風よ。雲の中の天への通路を吹き閉ざしておくれ。天女たちの姿をもうしばらくとどめておきたいから。

(解説)
11月中旬、宮中行事の「豊明の節会(とよあかりのせちえ)」(=天皇が新米を食べる儀式)の「五節の舞姫(ごせちのまいひめ)」を見て詠んだ歌。


五節の舞姫

 

(解説)
・天つ風・・天の風。空を吹く風よ。「つ」は「の」の意味。

・をとめの姿・・この「をとめ」は「天つ乙女」の意味で天女をさす。五節の舞姫を天女に見立てた表現。


(作者)
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)。良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。

六歌仙三十六歌仙の一人。平安京を開いた50代・桓武天皇の孫。良岑安世(よしみねのやすよ)の息子。21「いま来むと」の素性法師の父。

54代・仁明天皇(833年)に仕え「良少将」「深草少将」と呼ばれた。仁明天皇崩御のあと35才で比叡山にのぼり出家。僧正は僧侶の中で最も高い位。元慶寺を創設。

美男としても知られ、9「花の色は」の小野小町とも親しかった。

 

13. 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる / 陽成院

13.筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる / 陽成院(ようぜいいん)

つくばねのみねよりおつるみなのがわ こいぞつもりてふちとなりぬる

(訳)筑波峯のてっぺんから段々と流れ落ちるみなの川のように、私の恋心も積もって深い淵のようになったよ。

(解説)
・筑波山(つくばさん)(常陸国・ひたちのくに・茨城県)・・男体山(なんたいさん)と女体山(にょたいさん)という二つの峯からなる恋の歌の名所。「西の富士、東の筑波」と言われた。

・みなの川・・筑波山から流れる川。「男女川」とも書く。

・淵・・流れが緩やかになって深くなったところ。

・綏子内親王(すいしないしんのう)に当てて書いた歌。陽成院の后になった。


(作者)
陽成院(ようぜいいん)。57代・陽成天皇(ようぜいてんのう)。56代・清和天皇(せいわてんのう)と藤原高子(二条后・にじょうのきさき)の皇子。

9才で即位したが、叔父の関白・藤原基経(藤原家最初の関白)に17才で退位させられ、光孝天皇(15「きみがため は」)に皇位を譲った。

20「わびぬれば」元良親王(もとよししんのう)の父。

(参考)
「うた恋」1巻

14. みちのくのしのぶもぢずり誰ゆえに 乱れそめにし我ならなくに/河原左大臣

(イメージ)

14. みちのくのしのぶもぢずり誰ゆえに 乱れそめにし我ならなくに / 河原左大臣(かわらのさだいじん)

みちのくのしのぶもじずりたれゆえに みだれそめにしわれならなくに

(訳)
陸奥(東北の東半分)のしのぶもじずりの乱れ模様のように、誰のせいで思いが乱れ始めてしまったのでしょう。私ではなくあなたのせいですよ。

(解説)
・信夫(しのぶ)地方・・今の福島県

・しのぶもじずり・・染め物


(作者)
河原左大臣(かわらのさだいじん)。源融(みなもとのとおる)。

52代・嵯峨天皇の第12皇子。臣籍降下して源姓になる。河原院という大邸宅に塩釜の地を模して海水を汲む。光源氏のモデルの1人とも言われる。

宇治に別荘を作ったが、これが後の平等院となる。

 

15. 君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ / 光孝天皇

15. 君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ / 光孝天皇

きみがためはるののにいでてわかなつむ わがころもでにゆきはふりつつ(こうこうてんのう)

(訳)あなたのために春の野にでかけて若菜をつんでいる私の袖に雪がちらちらと降りかかっています。

(解説)
・「古今集」に載っている歌。光孝天皇がまだ時康親王と呼ばれる時代のもの。

・宮中では年のはじめに若菜つみが行なわれる。正月七日に若菜(春の七草)を食べると邪気が払われるとされた。


(作者)
58代・光孝天皇。54代・仁明天皇の第3王子。小さいころから和歌や学問が好きな皇子だった。55才で天皇に即位したが、4年後に亡くなる。

 

16. 立ち別れいなばの山の峰におふる まつとし聞かば今帰り来む / 中納言行平

16. 立ち別れいなばの山の峰におふる まつとし聞かば今帰り来む / 中納言行平

たちわかれいなばのやまのみねにおうる まつとしきかばいまかえりこん(ちゅうなごんゆきひら)

(訳)私はお別れして因幡の国(鳥取県)に行きます。稲葉山の峰に生える松のように皆さんが私の帰りを待つと聞いたならすぐに帰ってきましょう。

(解説)
・「因幡」と「稲葉山」、「待つ」と「松」がかかっている。

・いなくなった猫が帰ってくるおまじないとして読まれる。


(作者)中納言行平。在原行平(818~893)。在原業平(17「ちはやぶる」)の異母兄。

51代・平城天皇(へいぜいてんのう)の孫。阿保親王(あぼしんのう・平城天皇の第1皇子)の皇子。業平とともに皇族を離れた。

陽成天皇(13つくばねの)、光孝天皇(15きみがため)に仕えた有能な官吏でもあった。

38才で因幡(鳥取県)の国司、因幡守となった。任期は4~5年。京都に奨学院という学校を創設した。

 

17.ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは / 在原業平朝臣

17.ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは / 在原業平朝臣

ちはやぶるかみよもきかずたつたがわ からくれないにみずくくるとは(ありわらのなりひらあそん)

(訳)神代の昔にも聞いたことがない。竜田川が紅葉を散り流して水を紅葉の絞り染めにしているとは。

(解説)
・昔の恋人の藤原高子(ふじわらのたかいこ)のために屏風を題材に詠んだ歌。

・高子は56代清和天皇の后(二条の后)で、57代陽成天皇の母。


(作者)
在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)。51代平城天皇の孫。阿保親王(あぼしんのう)の皇子。16「立ち別れ」在原行平の弟。六歌仙三十六歌仙の1人。

「伊勢物語」の主人公とされる。情熱的な美男子としても有名。

近衛府(このえふ・官職の一つで皇族や高官の警備)。「在五中将(ざいごのちゅうじょう)」とも呼ばれる。

(参考)
・『応天の門』
・『超訳百人一首 うた恋い。』

 

18.住の江の岸による波よるさへや 夢の通ひ路人めよくらむ/藤原敏行朝臣

18.住の江の岸による波よるさへや 夢の通ひ路人めよくらむ/藤原敏行朝臣

すみのえのきしによるなみよるさえや ゆめのかよいじひとめよくらん(ふじわらのとしゆきあそん)

(訳)住の江の岸に打ち寄せる波ではないが、夜に見る夢の中の通い路までも、どうしてあの人は人目を避けるのだろうか。

(解説)
・女性の気持ちになって詠んだ歌

・人目を忍ぶ恋のもどかしさ

・住之江は大阪・住吉の海岸。松の名所で「待つ恋」によく詠まれる歌枕。


(作者)
藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)。17「ちはやぶる」在原業平の妹婿。書道も上手で、京都、神護寺の鐘銘が現存。59代宇多天皇に仕えた。

古今集
「秋きぬとめにはさやかにみえねども 風のおとにぞおどろかれぬる」

(訳)秋が来たと、はっきりと目にはみえないけれど、風の音で(秋の到来に)はっと気づきました。