07千載和歌集 – ページ 2 – 楽しく百人一首

86.嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな/西行法師

86.嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな/西行法師(さいぎょうほうし)

なげけとて つきやはものを おもわする かこちがおなる わがなみだかな

(訳)嘆けといって、月は物思いをさせるのだろうか。いや、そうではないのに、月にかこつけて恨めしそうに落ちてくる私の涙よ。

(解説)
・「月前恋(げつぜんのこい)」というお題で詠まれた。恋の切なさ。


(作者)西行法師(さいぎょうほうし)。佐藤義清(さとうのりきよ)。鳥羽院を警護する北面の武士だったが23才で妻子と別れて出家。生涯旅をして過ごした。

各地を旅して『山家集(さんかしゅう)』(1570首)『西行上人集』などの歌集を残す。『新古今和歌集』には94首もの西行の和歌が選ばれている。

83「よのなかよ」の藤原俊成とも親しく、俊成の歌は西行の出家も影響しているといわれる。

「願わくは花のもとにて春死なん その如月の望月のころ」(ねがわくははなのもとにてはるしなん そのきさらぎのもちづきのころ)という自分の和歌のとおり2月(如月)16日(望月=満月)に亡くなった。

釈迦の入滅が2月15日で同じ頃にと望んだ。現在でいうと3月後半ごろなのでまさに花(桜)の時期。

 

88. 難波江の葦のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき/皇嘉門院別当

88. 難波江の葦のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき/皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)

なにわえの あしのかりねの ひとよゆえ みをつくしてや こいわたるべき

(訳)なにわの入り江の芦の刈り根の一節(ひとよ)のような、仮寝の一夜をあなたと過ごしたせいで、澪標(みをつくし)のように身を尽くして恋し続けるのでしょうか。

(解説)
・摂政・藤原兼実の歌合で「旅宿逢恋」という題で詠まれた。遊女の心を想像して詠んだ。一夜限りゆえに思い悩む恋を表現。

20「わびぬれば」元良親王の本歌取り。


(作者)皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)。源敏隆の娘。崇徳院(77「せをはやみ」)の皇后である皇嘉門院に仕え、別当(女官長)と呼ばれた。

90. 見せばやな雄島のあまの袖だにも ぬれにぞぬれし色は変はらず/殷富門院大輔

90. 見せばやな雄島のあまの袖だにも ぬれにぞぬれし色は変はらず/殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)

みせばやな おじまのあまの そでだにも ぬれにぞぬれし いろはかわらず

(訳)お見せしたいものです。雄島の漁師の袖でさえも、波に濡れに濡れてそれでも色は変わらなかったというのに。

(解説)
・雄島は日本三景の一つ宮城・松島にある島。歌枕。

・源重之(48「風をいたみ」)作の「松島や雄島の磯にあさりせしあまの袖こそかくは濡れしか」からの本歌取り。


(作者)殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)。藤原信成の娘。殷富門院(式子内親王の姉)に仕えた。多作であったことから「千首大輔」の異名がある。西行や寂蓮とも歌のやりとりをした。

92. わが袖は潮干にみえぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし/二条院讃岐

92. わが袖は潮干にみえぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし/二条院讃岐(にじょういんのさぬき)

わがそでは しおひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かわくまもなし

(訳)私の着物の袖は、引き潮の時にも見えない沖の石のように、人には知られないけれど、悲しみの涙で乾く暇もありません。

(解説)
・片想いの嘆き


(作者)二条院讃岐(にじょういんのさぬき)。この歌が評判となり「沖の石の讃岐」と呼ばれるようになった。源頼政の娘。78代二条天皇に仕えた。

95. おほけなくうき世の民におほふかな わがたつ杣にすみぞめのそで/前大僧正慈円

95. おほけなくうき世の民におほふかな わがたつ杣にすみぞめのそで/前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)

おおけなく うきよのたみに おおうかな わがたつそまに すみぞめのそで

(訳)分不相応ではあるけれど、辛いこの世を生きる人々に覆いかけたいものだ。私が住みはじめた比叡山での仏の祈りを。

(解説)
・世の人のために仏の加護を願う心


(作者)前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)。父は藤原忠通(76「わたのはら こ」)。兄は九条兼実(くじょうかねざね)。 歴史書「愚管抄」の作者。14歳で出家し天台座主に四度なる。