2023年7月 – ページ 3 – 楽しく百人一首

29. 心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花/凡河内躬恒

29. 心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花/凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

こころあてに おらばやおらん はつしもの おきまどわせる しらぎくのはな

(訳)慎重に折るなら折れるでしょうか。一面に降りた初霜で見分けがつなかくなっている白菊の花が。


(作者)
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)。三十六歌仙の1人。「古今集」の撰者。59代宇多天皇、60代醍醐天皇に仕えた。勅撰集に200首の歌が残る歌人。

30. 有明けのつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし/壬生忠岑

30. 有明けのつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし/壬生忠岑(みぶのただみね)

ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし

(訳)
明け方の月が冷ややかに空に残っていたように、あなたが冷たく見えた別れ以来、夜明けほど辛いものはありません。

(解説)
・暁(あかつき)・・午前3時ごろ、まだ暗い時間。

・有明の月・・旧暦の16日以降の、夜明け前の空に残る月。


(作者)
壬生忠岑(みぶのただみね)。初の勅撰和歌集「古今和歌集」の撰者。壬生忠見41「恋すてふ」の父。三十六歌仙の一人。

『忠岑十体(ただみねじゅったい)』(歌論集)を残す。

31. 朝ぼらけ有明けの月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪/坂上是則

31. 朝ぼらけ有明けの月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪/坂上是則

あさぼらけありあけのつきとみるまでに よしののさとにふれるしらゆき(さかのうえのこれのり)

(訳)夜がほのぼのと明ける薄明りのころ、明け方の月で明るいのかと見間違うほどに吉野の里に雪が降り積もっています。

(解説)
・奈良・吉野を旅したときに宿で詠んだ歌。

・朝ぼらけ・・夜明け前のまだ暗い頃。あたりがほのかに明るくなるころ。


(作者)坂上是則。三十六歌仙の1人。蝦夷討伐の征夷大将軍・坂上田村麻呂の四代目の孫。蹴鞠が得意で60代醍醐天皇の前で206回蹴り上げ、褒美に絹をもらった。

<奈良・吉野>
・吉野はこの頃はまだ桜ではなく、雪という感じ。

・吉野は天武天皇が壬申の乱で挙兵した場所。持統天皇は吉野の地がお気に入りで33回訪れたという。(⇒漫画『天上の虹』では唯一2人で過ごせた場所だから思い入れがあったとある。)

32. 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり/春道列樹

32. 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり/春道列樹(はるみちのつらき)

やまがわに かぜのかけたる しがらみは ながれもあえぬ もみじなりけり

(訳)
山あいを流れる川に風がかけた柵(しがらみ)は、流れたくとも流れていけない紅葉だったのだなあ。

(解説)
・山川(やまがわ)・・山あいを流れる小さな川

・京都から比叡山のふもとを通り、近江(滋賀県)に抜ける山道の途中に作った歌。

・上の句が問いで下の句が答えになっている。

・しがらみ(柵)を作ったのは人ではなく風だった、という擬人法が評価された。


(作者)
春道列樹(はるみちのつらき)。歴史を学ぶ文章生だった。この句で有名になった。

33. ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ/紀友則

33. ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ/紀友則(きのとものり)

ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しずこころなく はなのちるらん

(訳)
日の光が穏やかに差している春の日に、桜の花はどうして落ち着いた心なく急いで散ってしまうのか。

(解説)
・桜の儚さ、世の無常などを詠んだ。

・ひさかたの・・光にかかる枕詞。天、空、月などにかかる。


(作者)
紀友則。「古今和歌集」の撰者。三十六歌仙の1人。紀貫之(35「人はいさ」)のいとこ。古今和歌集の完成を前に亡くなった。

 

34. 誰をかもしる人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに/藤原興風

34. 誰をかもしる人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに/藤原興風(ふじわらのおきかぜ)

たれをかも しるひとにせん たかさごの まつもむかしの ともならなくに

(訳)
心をかわす古くからの友人もいなくなった今、誰を友としよう。あの年老いた高砂の松も昔からの友ではないのに。

(解説)
・高砂(たかさご)・・播磨の国(兵庫・高砂市)の海岸にある、長寿の松の名所。


(作者)
藤原興風(ふじわらのおきかぜ)。琵琶や琴の名手だった。凡河内躬恒(29「心あてに」)や紀貫之(35「人はいさ」)らと歌会をしていた。三十六歌仙の一人。

35. 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける/紀貫之

35. 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける/紀貫之(きのつらゆき)

ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞむかしの かににおいける

(訳)あなたは、さあ、心変わりしているのかお心は分かりません。昔なじみのこの里では梅の花が昔と変わらず咲き誇っているのです。

(解説)
・大和(奈良)の初瀬寺(はせでら)へ行ったときに詠んだ歌。十一面観音で有名。


(作者)
紀貫之。「古今和歌集」の撰者。「土佐日記」の作者。女性を装い、かな文字で書かれた日本最古の日記文学。

33「ひさかたの」紀友則の従兄弟。六歌仙について書いた。

 

 

36. 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ/清原深養父

36. 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ/清原深養父(きよはらのふかやぶ)

なつのよは まだよいながら あけぬるを くものいずこに つきやどるらん

(訳)
夏の夜は短いのでまだ宵(夜)だと思ってるうちに開けてしまった。雲のどのあたりに沈み切らなかった月は宿にしているのだろう。

(解説)
・「宵」・・夜に入ってすぐ。「夕」のあと。「夜半」の前。


(作者)
清原深養父(きよはらのふかやぶ)。清少納言62「よをこめて」の曾祖父(ひいおじいちゃん)。清原元輔42「契りきな」の祖父。琴の名手。

 

37. 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける/文屋朝康

37. 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける/文屋朝康(ふんやのあさやす)

(読み)しらつゆに かぜのふきしく あきののは つらぬきとめぬ たまぞちりける

(訳)風の吹く秋の野に、白く光る朝露。まるで糸を留めていない真珠が散り乱れているようだ。

(解説)
・「草の上の露」を「玉・真珠」に例えることはよくあったが「風に散る露=玉」を読んでいるところが新鮮。

・露(つゆ)は涙の例えとしても使われるため、「散る」という表現から恋が終わったことを表すのかも。

・「後撰集」の詞書(ことばがき)より。延喜の時代、60代醍醐天皇から求められて作った歌。

 


(作者)
文屋朝康(ふんやのあさやす)。父は文屋康秀22「吹くからに」。多くの歌合わせに参加した。

 

 

38. 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな/右近

38. 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな/右近(うこん)

わすらるる みをばおもわず ちかいてし ひとのいのちの おしくもあるかな

(訳)忘れられた私のことはいいのです。愛の誓いを破ったあなたの身が心配です。

(解説)
・藤原敦忠(ふじわらのあつただ)(43. 逢い見ての)に贈った歌。←敦忠は左大臣・藤原時平(菅原道真を大宰府へ左遷した)の息子。敦忠は実際に若くして38才で亡くなった。


(作者)
右近(うこん)。右近衛少将・藤原孝縄(うこんのえしょうじょう・ふじわらのすえなわ)の娘。恋多き女流歌人。

60代醍醐天皇の皇后・穏子(おんし)に仕えた。「大和物語」にも恋愛模様が描かれている。