百人一首note – ページ 6 – 百人一首の学びメモ

41. 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか / 壬生忠見

(ヒトリシズカ)

41. 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか / 壬生忠見(みぶのただみ)

(読み)こいすちょう わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもいそめしか

(訳)恋をしている私のうわさは早くも広まってしまいました。誰にも知られないように心の中で思い始めたばかりなのに。

(解説)
・まだき・・早くも

・960年・天徳内裏歌合わせで40「しのぶれど」と対決した。摂津からはるばる都にやってきた。


(作者)壬生忠見(みぶのただみ)。摂津国の下級役人。父は壬生忠岑(30「有明の」)。

父子ともに三十六歌仙

42. 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波超さじとは / 清原元輔

42. 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波超さじとは/清原元輔(きよはらのもとすけ)

(読み)ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すえのまつやま なみこさじとは

(訳)約束しましたよね。涙にぬれた袖を絞りながら。末の松山を波が決して越さないように2人の愛も変わらないと。

(解説)
・末の松山・・陸奥国(宮城県)にある松の名所。多賀城市あたり。

・869年の貞観(じょうがん)地震の際も、波は末の松山を越えなかった。

・作者の清原元輔が代理で詠んだ。

・『古今集』の「君をおきて あだし心を わがもたば 末の松山 浪もこえなむ」を元にした。


(作者)清原元輔(きよはらのもとすけ)(908~990)。清少納言(62「夜を込めて」)の父。清原深養父( 36「夏の夜は」)の孫。

『後撰集』をまとめた「梨壺の五人」のうちの一人。三十六歌仙の一人。

 

43. 逢い見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり / 権中納言敦忠

43. 逢い見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり / 権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)

(読み)あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり

(訳)あなたと一夜を過ごしたあとの恋しい心に比べれば昔の悩みなど悩みのうちに入らなかったなあ。

(解説)
・後朝(きぬぎぬ)の歌


(作者)権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)。藤原敦忠。藤原時平の三男。

歌の才能と美貌に恵まれた恋多き貴公子。琵琶の名手で「琵琶中納言」とも呼ばれた。37才と若くして亡くなる。

右近(38「忘らるる」)が歌を送った相手。

 

44. 逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし / 中納言朝忠

44. 逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし / 中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)

(読み)おうことの たえてしなくは なかなかに ひとをもみをも うらみざらまし

(訳)あの人と会って結ばれることが一度もなければ、かえってあの人の冷たさもわが身の辛さもこんなにうらむことはなかったのに。

(解説)
・960年・天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)での歌。

・「~なくは~まし」は反実仮想。


(作者)中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)。藤原朝忠。三条右大臣・藤原定方(25「名にしおはば」)が父。三十六歌仙の一人。

笙(しょう)や笛の名手。右近(38)をはじめ多くの女性と恋のうわさになった。

 

45. あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな / 謙徳公

45. あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな / 謙徳公(けんとくこう)

(読み)あわれとも いうべきひとは おもおえで みのいたずらに なりぬべきかな

(訳)かわいそうだと言ってくれそうな人も思い浮かばないまま、私はきっとこのままむなしく死んでしまうのだろうなあ。


(作者)謙徳公(けんとくこう)。藤原伊尹(ふじわらのこれただ)。

藤原兼家の兄。右大臣・藤原師輔(もろすけ)の子。貞信公(藤原忠平)(26「小倉山」)の孫。藤原義孝(50「君がためお」)の父。

娘の懐子(かねこ)が生んだ皇子が65代・花山天皇となった。つまり花山天皇の祖父。円融天皇の摂政。和歌所の別当として『後撰集』の編纂を統括した。

 

46. 由良の門を わたる舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな / 曽禰好忠

46. 由良の門を わたる舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな / 曽禰好忠(そねのよしただ)

(読み)ゆらのとを わたるふなびと かじをたえ ゆくえもしらぬ こいのみちかな

(訳)由良の海峡を渡る舟人がかいを失って行く先も分からず漂っているように私の恋の道もどうなるか分からない。

(解説)
・由良の門・・京都府の由良川が若狭湾に流れ込むあたり。門(と)は水流の出入りする海峡。流れの激しいところ。


(作者)曽禰好忠(そねのよしただ)。三十六歌仙の一人。丹後(京都北部)の掾(じょう)という役人。(※四等官・・長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん))

自由、新鮮で個性的な歌を詠み、歌壇に新風を与えた。後の源俊頼(74)にも影響を与える。『拾遺和歌集』以下の勅撰集に94首入集。

一日一首の歌日記的な三百六十首和歌など新しい連作形式も生み出した。

47. 八重むぐら 茂れる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり / 恵慶法師

47. 八重むぐら茂れる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり/恵慶法師

(読み)やえむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり(えぎょうほうし)

(意味)むぐら(つる草)が生い茂ったさびしい家に人は来ないけれど、秋だけはやってきたなあ。

(解説)恵慶法師が友人の安保法師の家を尋ねたときに詠んだ歌。安保法師の曾祖父である河原左大臣(源融)(14「みちのくの」)の豪華な邸宅、「河原院(かわらのいん)も百年が過ぎて、有名だった広い庭園も寂れてしまった。

 


(作者)
恵慶法師(えぎょうほうし)。65代花山天皇(984)の頃の播磨国(兵庫)の国分寺の僧。自然を読むのが得意だった。

平兼盛(40「しのぶれど」)や、源重之(48「風をいたみ」)と親しかった。

 

48. 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな / 源重之

48. 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな / 源重之(みなもとのしげゆき)

(読み)かぜをいたみ いわうつなみの おのれのみ くだけてものを おもうころかな

(訳)あまりに風が激しいので岩を打つ波が砕け散るように、私の心もくだけて思い悩んでいるこの頃よ。

(解説)
・「風をいたみ」・・あまりに風が激しいので


(作者)源重之(みなもとのしげゆき)。56代清和天皇のひ孫。63代冷泉天皇に仕えた。三十六歌仙の一人。地方官を歴任し、最後は陸奥国で没した。日本全国を旅して歌を詠んだ。

49. みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ / 大中臣能宣朝臣

49. みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ / 大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)

(読み)みかきもり えじのたくひの よるはもえ ひるはきえつつ ものをこそおもえ

(訳)宮中の衛士のたくかがり火のように、私の恋心も夜は燃え、昼には消えてしまうように思い悩むころです。

(解説)
・みかきもり・・宮中の門を守る兵士。御垣守。

・衛士(えじ)・・宮中を昼夜交代で守るため地方から集められた兵士。


(作者)大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)。伊勢神宮の神官の家に生まれる。祖先は中臣氏。

伊勢大夫(「61「いにしへの」)の祖父。『後撰和歌集』をまとめた「梨壺の5人」の一人。

 

50. 君がため をしからざりし 命さえ ながくもがなと 思ひけるかな / 藤原義孝


(月下美人)

50. 君がため をしからざりし 命さえ ながくもがなと 思ひけるかな / 藤原義孝

(読み)きみがため おしからざりし いのちさえ ながくもがなと おもいけるかな(ふじわらのよしたか)

(訳)あなたに逢うためならと惜しくなかったこの命。逢ってしまった今では長くあってほしいと願うようになったのです。

(解説)
・「君がため」・・あなたに逢うためなら

・「長くもがな」・・長くあってほしい「もがな」は願望

・後朝(きぬぎぬ)の歌。


(作者)藤原義孝(ふじわらのよしたか)。謙徳公(藤原伊尹・これただ)(45「あはれとも」)の三男。藤原行成(三蹟の一人)の父。まじめで仏教にも熱心。美しい容姿だったと言われる。21才で天然痘で亡くなる。