百人一首note – ページ 12 – 百人一首の学びメモ

百人一首の親子、家族

◆百人一首作者の親子関係など


1「秋の田の」 父 天智天皇
2「春すぎて」 娘 持統天皇


12「あまつかぜ」 父 僧正遍照
21「今こむと」  息子 素性法師


22「吹くからに」 父 文屋康秀
37「白露に」   息子 文屋朝康


25「名にしおはば」 父 三条右大臣
44「逢ふことの」  息子 中納言朝忠


26「小倉山」   曾祖父 貞信公(藤原忠平)
51「かくとだに」 ひ孫  藤原実方朝臣


27「みかの原」   曾祖父 中納言(藤原)兼輔
57「めぐりあいて」 母  紫式部
58「有馬山」    娘  大弐三位


30「有明けの」 父 壬生忠岑
41「恋すてふ」 子 壬生忠見


36「夏の夜は」 曾祖父 清原深養父
41「契りきな」  父 清原元輔
62「夜をこめて」 娘 清少納言


45「あはれとも」 祖父 謙徳公(藤原伊尹)
50「きみがため」 父 藤原義孝
62清少納言とやりとり 息子 藤原行成)


49「みかきもり」 祖父 大中臣能宣朝臣
61「いにしへの」 孫 伊勢大夫


55「滝の音は」 父 大納言公任
64「朝ぼらけ 宇治の」 息子 権中納言定頼


56「あらざらむ」 母 和泉式部
60「大江山」 娘 小式部内侍


71「夕されば」 祖父 大納言経信
74「憂かりける」 父 源俊頼朝臣
85「夜もすがら」 子 俊恵法師


76「わたのはら こ」 祖父 藤原忠道
95「おほけなく」 父 前大僧正慈円
91「きりぎりす」 孫 藤原義経


79「秋風に」 父 藤原顕輔
84「長らへば」 息子 藤原清輔


83「世の中よ」 父 藤原俊成
97「来ぬ人を」 息子 藤原定家


99「人もをし」 父 後鳥羽院
100「ももしきや」 息子 順徳院


 

梨壺の5人

梨壺(なしつぼ)の5人

•  清原元輔 (42「契りきな」)→清少納言(62「よをこめて」)の父

•  大中臣能信(おおなかとみのよしのぶ)→伊勢大輔(61「いにしえの」)の祖父

•  源順(みなもとのしたごう)→三十六歌仙のひとり

•  紀時文(きのときぶみ)→紀貫之 (35「人はいさ」)の息子

• 坂上望城 (さかのうえのもちき)

「梨壺の五人」天暦5年村上天皇の命により、昭陽舎に置かれた和歌所の寄人(よりうど)。

昭陽舎の庭には梨の木が植えられていたことから梨壺と呼ばれた。

『万葉集』の解読、『後撰和歌集』の編纂などを行った。

 

蔵人頭(くろうどのとう)

蔵人頭(くろうどのとう)・・天皇の秘書。殿上の事務一切を取り仕切る激務。

エリートコースの重大な通過点。後に出世しやすい。

定員は2名。
近衛・このえ(内裏の警備の武官)と弁官・べんかん(文書の文官)から1人ずつ選ばれる。

• 頭中将(とうのちゅうじょう)• • 近衛中将(このえちゅうじょう)を兼任する蔵人頭。

在原業平、藤原斉信(ただのぶ)など。容姿端麗の華のある感じ。

• 頭弁(とうのべん)• • 弁官を兼任する蔵人頭

藤原行成など

光源氏のモデル

光源氏のモデルになった人

イケメン、プレイボーイ

在原業平 16「ちはやぶる」

三条右大臣(源融)25「名にしおわば」

藤原実方 51「かくとだに」

 

月の歌 11首🌙

月の歌 11首 🌙

23. 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど

36. 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに宿るらん

 

(有明の月)

21. いま来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ちいでつるかな

31. 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に ふれる白雪

 

(番外編)

「月」という言葉は出ないが、月がある

30. 有明の つれなく見えし わかれより 暁ばかり うきものはなし

 

一字決まり・むすめふさほせ

一字決まり(7枚)

むすめふさほせ

らさめの
みのえの
ぐりあいて
くからに
びしさに
ととぎす
をはやみ


らさめの つゆもまだいぬ まきのはに きりたちのほる あきのゆふくれ」

18「みのえの きしによるなみ よるさえや ゆめのかよいじ ひとめよくらむ」 

ぐりあいて みしやそれともわかぬまに くもがくれにし よわのつきかな」

22「くからに あきのくさきの しをるれば むべやまかぜを あらしといふらむ」

びしさに

ととぎす

をはやみ いわにせかるる